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東近江水環境自治協議会 その3

東近江水環境自治協議会 
その3 NPOの視点から市民参加を考える


東近江水環境自治協議会 丹波道明専務理事
(平成19年7月5日 滋賀県立大学の市民参加論の講座の事例発表の一つとして講義した講義録)

~ 東近江水環境自治協議会の活動(河川環境管理の一事例)~
1.東近江自治協議会の概要:
資料1 東近江水環境自治協議会 [Higashi-Omi(East Shiga)Water Environment Self-Governance Association] 概要(2007/6)
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2.設立に際して
(1) 平成8年(1996)の暮 八日市市、近江八幡市、安土町の行政職員有志により共同して環境問題への取り組もうと話し合いが始まる。

(2) 平成9年(1997)に入って三者の事務レベルの会議を重ね一時事務ベースでは「蒲生野の郷環境保全協議会」の設立を進めるところまで進んだが、八日市市が不参加を表明、近江八幡市と安土町の協議は継続。

(3)平成9年(1997)12月5日近江八幡市と安土町の行政有志による「長命寺湾・西の湖保全協議会」が発足し、平成10年~11年にかけて「長命寺湾・西の湖の現状と課題」「長命寺湾・西の湖特定流域総合保全事業計画書」などの作成を通じて現状把握と対策を検討する一方で、住民組織の設立を図るため、「わがまち水辺観察会」と名付けた現場観察会を4回開催する。

(4) 長命寺湾・西の湖保全協議会は「わがまち水辺観察会」に参加した住民を中心に近江八幡市と安土町それぞれ10名の設立準備委員を人選、仮称長命寺湾・西の湖保全自治協議会の設立準備会が平成11年11月4日発足した。

(5)設立準備会の発足に際し行政側の長命寺湾・西の湖保全協議会によって「設立趣意書(案)」、「規約(案)」を準備してくれており、準備委員はそれを審議承認する手はずになっていた。しかし、互選で選ばれた座長(本日の講師)が、最初に準備委員の全員に なぜこの会に参加したのかその理由を尋ねたところ、水環境の改善という思いは共通していたものの、改善の対象となる物事が見事に異なった(ある人はヨシ原の保全を、またある人は魚貝類の復活を・・・)

(6)設立準備会では平成11年11月4日から平成12年7月6日にかけて9回の設立準備会を開催次の作業を行った。

①  準備委員の水環境の改善について「おもい」を語り合い、それをもとに
*各人の思いを実現するための小グループを立ち上げること。
*小グループの活動を互いに助け合うこと。 を申し合わせた。

②  準備してくれていた設立趣意書を廃棄しこの「おもい」を盛り込んだ設立趣意書(含 む活動のイメージ)を作成した。

③  規約案を作り直す(ライン組織→小グループを緩くつないだネットワーク組織へ)とともに会の名称を東近江水環境自治協議会とする案とした。

④  新しい規約案を補足するため活動指針案を作成した。

⑤ 平成12年度事業計画案をつくる。

(6)このような経過を経て、平成12年(2000)7月8日設立総会を開催し東近江水環境自治協議会が発足した。

    
設立時のことを振り返ってみて講師コメント
(行政の留意点)
ⅰ 環境に取り組む市民参加の組織作りに際しては、行政による準備会がいる。(たとえば、「わがまち水辺観察会」の実施のように)

ⅱ 取り組む対象がはっきりしていると(たとえば、琵琶湖最大の内湖西の湖のように)まとまりやすい。

ⅲ 設立準備委員の人選(明るい人、意欲と行動力のある人)が重要

ⅳ 設立を急がず充分な議論のプロセスを重視する(設立準備委員が仲良くなり、考え方の擦り合わせができた)。

(市民側の留意点)
ⅰ 何が会を動かして行く原動力なのかを考える(特にリーダーの役割)

ⅱ 検討に時間をかける(この間、設立準備委員は、それぞれの仲間を会員に勧誘してくれた)

ⅲ 設立総会を会員勧誘の大切な機会と捉え充分な準備期間と入念な計画を作った。その結果、会員数200人と5法人の会が立ちあがった。(2000/7/8)

(その他)
設立準備会は「わがまち水辺観察会」が西の湖を中心として流れ込む蛇砂川を遡って鈴鹿の山へ、西の湖から流れ出る長命寺川を下って琵琶湖へいったこともあって流域の意識を強く持っている組織として立ち上がった。
平成12年3月にマザーレーク21計画が発表され、それを準備会で見せてもらったとき、皆で我々の議論を聞いて作られたのと違うかと冗談を飛ばすくらいであった。
そのようなことから会の名称を行政が期待した「長命寺湾・西の湖保全自治協議会」から東近江水環境自治協議会としたが、これについては当時の八日市県事務所環境課から何でそのような名前にしたのと言われた。
理由は県庁からマザーレーク21計画に基づき県事務所単位で流域協議会を立ち上げの指示があったことがあとでわかった。
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3.設立はしたものの
(1)小グループはさっぱり動かないやむなく全体活動で引っ張った。
  会の全体活動 a),b),c)参照

(2)平成13年度から小グループ活動が活発に動き出した。

この頃を振り返ってみて講師コメント
ⅰ 小グループはさっぱり動かない、「そんなこと言うても、どうしてよいかわからんかった」というのが小グループリーダーたちの感想でありました。

ⅱ 特に全体活動b)流域フォーラムの反響を体験し、自信ができたのが大きかった。 ・・・このフォーラムによって当会のスタートが切られたといってもよい。
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4.パブリックコメント
(1)蛇砂川川造り会議
平成9年5月の河川法の改正によって従来の治水、利水のほかに環境が入ったことと計画策定に当たっては関係住民の意見を聞くことが定められた。
これにより、淡海の川づくり検討委員会が開催され、その一環として「蛇砂川川造り会議」が平成13年(2001)12月から平成15年(2003)2月16日にかけて、滋賀県東近江地域振興局河川砂防課の主催により8回にわたって開催された。
この間、はがきによる一般公募委員として本日の講師が全会合に出席し、西の湖班の班長を務め意見集約と河川整備計画に対する意見反映に努力した結果、淀川水系 東近江圏域 河川整備計画が次ぎのように設定された。
「西の湖の治水計画では、これまで長命寺川への出口と、蛇砂川の流入部を結ぶルート上に新たに堤防を築いて河道(湖中堤)をつくり、西の湖周辺は大規模なポンプによる内水排除をすることとしていました。
しかしながらこの計画では、ヨシ群落を大きく改編し、水域を分断するなど西の湖の自然環境や水面利用等への影響が大きい事から、今後はこれを見なおし、今後は西の湖に関係する機関や関係者、地域の方々の意見を聞きながら、周辺の干拓堤防の嵩上げ等、環境に配慮した治水対策を基本に検討していくこととします。
西の湖の水質は近年悪化の傾向をたどり、豊かな自然環境への影響が懸念されます。
今後も西の湖ならびに流入河川の水環境の状況を把握し、河川環境の保全と改善への取組みとして西の湖で現在実施している底泥浚渫を継続していきます。」

(2)その結果どうなったか
A. この結果に対し近江八幡市は賛成、安土町は反対の意向を表明、当会は安土町から町の意向に逆らうけしからんNPOがいるとされ「長命寺湾・西の湖保全協議会」を通じての支援は行わないと通告され、年間30万から40万あった支援金(活動に必要な消耗品費を中心とした)が打ち切られることとなった。

B. 県議会では上述の東近江圏域 河川整備計画どおり決定を見、従来からある湖中堤案は廃案となった。

この頃を振り返ってみて講師コメント
ⅰ パブリックコメントは当会としてではなく一般公募の一人として行ったものであったが、結果は当会を代表するものと受け止められた(特に安土町から)。また、意見表明についていろんな筋からプレッシャーを加えられたが、それをむしろ楽しみながら撥ね退けていった。このようにしてコンクリートで固めた川造りが行われたのかということを体験できたことは貴重であった。

ⅱ パブリックコメントを如何に求めるのかは、さらに検討を要するテーマであるけれども、関係者全員にチラシで公告し、チラシの中にあるハガキで応募し、その人が各人の意見にとどまらず所属する団体役員に経過報告をしながら、コンセンサスを作り上げその結果をパブリックコメントとして反映する形が良いのではないかと思っている。
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5.会活動の「おたく化」
(1)ところが小グループ活動が活発になるにつれ、徐々に参加する人が固定化し楽しいサロンとして定着していった。NPO活動に際して「楽しい」ことは大切なことなのだけれど会活動が閉鎖的になる傾向が懸念された。いわゆる「おたく化」の懼れである。

(2)では、おたくの枠に外に開かれた窓をつけるのにはどうすればよいのかと考えたのが 
①子供たちをお母さんごと引っ張り込むには。

②琵琶湖から淀川までの流域を意識した活動を展開するには。

③自治会の人たちを巻き込むには。  の三つの課題への挑戦であつた。

① と② については設立当初からヨシ舟を作って西の湖で子供たちと水遊びをしないかという話が出ていたので、試しに平成14年6月(2002)するめ型のヨシ船を創って西の湖に浮かべてみた。このことがきっかけとなり同じ年の8月、6隻のヨシ舟を造って沖島へ渡る、第3回世界水フォーラムへ2隻のヨシ舟を出展する(2003)、また平成16年10月(2004/10)には琵琶湖・淀川流域の連携を意識してヨシ舟による御堂筋パレードと大阪舟運フェアに参加(西の湖から大阪湾まで)するなど、この間に12隻(除くカヌータイプ)のヨシ舟をつくつたのである。このヨシ舟づくりは当初の意図に反し子供の参加はごく少数、代わって多くの大学生の皆さんの参加を得ることとなった。
③ については西の湖をとりまく自治会の皆さんとともに「西の湖美術館づくり」と名付けた活動に取り組むことになるのだがこれについては次項で述べる。

(3)では、おたくに窓はついたのかというと、このような活動を通じて小グループのリーダーがより広い地域の人たちとつながりを持つようになっていったことは確かである。

この頃を振り返ってみて講師コメント
ⅰ ここらで、なぜ小グループ活動を重視したのかに触れておきたい。ボランテア活動は本来無料奉仕とは無関係な活動なのだけれど、わが国ではタダで働くものだという考えがしみついている。人はどのような時に働くのかを考えたとき、 程度の低い方から言うと「怖いとき」→「金が稼げるとき」→「リーダーに心服したとき」→「仲間とともに楽しいとき」→「自己実現が図れるとき」などがあげられる。
怖ければ誰もボランテアに参加しないし、ボランテアではお金は稼げないとくれば残りは3つのケースだけれど、ボランテア活動で心服するリーダーに巡り合うことも稀なこととくれば、「楽しい」か「自己実現といえば聞こえが良いが要するにやりたいことを(もちろん水環境に関してだけれど)する」ほかはなかろうとおもって、設立準備会で自分が問題だと思っていることの解決に自分が先頭に立って取り組んだらどうだろうかと提案し議論を重ねた結果当会では小グループ活動重視、小グループ活動を緩くつないだネットワークが当会の全体組織となったのである。

ⅱ ヨシ舟づくりは県立大学の学生さんを中心に多くの学生さんの参加を得た。大学生の皆さんの多くは卒業と共に各地にちらばってしまわれるが、地元に就職した人は今も時々顔を出してくれる。ともに汗を流して楽しんだ思い出は今も消えない。
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6.自治会の人と共に・・自治会の参加を得るのは難しい
1)当会は協議会であり「好き寄り」の会である。そのことは地域を超えた人の絆づくりに重要な意味を持つけれども、他方で地元にしっかりと根を下ろしたとは言い難い。そこで西の湖を囲む9自治会と2NPOで西の湖の保全(治水、利水、景観、環境)をはかるため当会を事務局とする西の湖保全自治連絡協議会を平成16年8月に(2004/8)立ち上げ、その活動の方針を西の湖美術館づくりと名付けて平成18年3月に発表したhttp://www.nishinoko-art.net/

(2)しかしこの試みは次の問題点があり今のところ成功したとは言えない。
 A.自治会は行政の再末端組織として上意下達の組織として存在していること。
 B.そのため自治会のエリアを超えた活動に関心が薄い。
 C.役員が毎年交代し引き継ぎが十分行われない。
 D.一般に水辺から関心が遠のいている。

(3)このようなことから、それは自治会の現状からいって自治会の参加は期待できないとする意見が多い。しかし共通の目標として滋賀県人に琵琶湖があるようにこの地の人に西の湖の持つ意味はあると思い、たとえば次のような工夫をすることにより地域の人と共に活動することができるよう努力したい。
 A.会長を自治会長の互選で選ばず、この地にいて西の湖に関心を持つ人を持ってくる。
 B.自治会の組織の中に環境問題の専門委員(毎年交代しない)をもうけこの人たちが自治会を代表して西の湖保全自治連絡協議会に参加してもらう。
 C.取り上げる議題を工夫する。
 D.当会の小グループの西の湖自然観察部会のメンバーから西の湖学芸員を育てる。

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7.自治会の参加がむつかしければどうするか・・・市民参加を考える 
市民とは何か、参加とは何に対してかが問題となるがここでは市民とは住民、参加の対象は行政への参加と考えて整理してみた。このばあい町・市会議員との関係が問題になるが講師は基本線は議会で具体的なことは住民参加を基本とし、住民はあるときは行政と、ある時は議員さんとそれこそ自由に話し合うことでよいとおもっている。

(1)住民の役割:
 A.現場の生情報を直接行政かまたは議員通じて行政に上げること。
 B.行政の提案に意見をのべること。
 C.行政提案にコンセンサスを(議員と共に)形成すること。
 D.実行について出来る範囲で協力すること。

(2)住民の参加を増やすには
 A.古い伝統をもつ集落は人のつながりがしっかりしている、参加を呼びかけるものがその集落の一員か集落に知人がおれば、呼びかけに応じ参加してくれる。
 B.伝統を重んじる古い集落の人のつながりでなくても住民の自発的な意思によってできたグループ(たとえばNHKの近所の底力のように)であれば市民・住民活動に参加してくれる(ただしそのグループの活動目的に合致した場合)。

3)行政の役割
  A.具体的な提案は行政の役割(どうしましょうは駄目)
  B. 案は二つ以上作ること(ひとつだけの案をもってきてこれを飲めではダメ)

行政と住民との意見調整
寄り会い(時間をかける、論理の納得に加えて感情の同意が大切)
法がこうなっている。条例がこうだという説明はさける(特区を申請しないような行政は仕事をしていないと思え)
予算が無くなってきたからタダでボランテアを使ってやろうという魂胆で参加を呼びかけても成功しない(すぐに見破られる)。
(5)その他
町行政がやりたいことに反対して、町から干されても(当会のパブリックコメントの項参照)一向に困らない、町がダメなら県へ行く、県がダメでも国がある。ボランテア活動は金をもらっていないだけにどこへ行こうと自由自在。ただし糾弾したり、どなったり、馬鹿にしてはならぬ。だじゃれ、ユーモアーが大事。


おわりに・・・我々はどこへ行くべきか

(1)東近江水環境自治協議会という好き寄りの会を立ち上げ水環境の改善に取り組で8年が経過した。
活動を通じてしみじみ抱く感慨は、敗戦の何もないところからから立ち上がりよくぞ
このような立派な国を再建してきたものだということが一つ。
しかし、その再建は経済優先の論理で貫かれ、国民も日々豊かな暮らしができるという実感からこれを支持して来たのであるが、経済優先の論理が壊してきて来たものが、我々が繁栄の陰で失ってきたものがあるというのが二つ目である。

(2)では壊してきたものは何か、そのひとつは自然環境の破壊であり、他の一つは地域社会の人のきずなの寸断である。

(3)自然環境の破壊は生態系を破壊し生物多様性を消滅させる。人間もまた生物の一員として他の生き物と共生してこの地球に生かされてきた。しかるに今先進国の人間はこの共生を断ち切り利便性というシエルターに引きこもっているかに見える。
  私はそこに人間という種の衰えをみる。

(4)地域社会の人のきずなの寸断は、生業の喪失による。何世代も隣は 隣という人間関係の煩わしさから解放され、プライバシーと個人の権利が横行する。それに加えてコミュニケーションツールの発達は文字という貧弱な情報と論理で事が済むと思わせてしまう。これまたシエルターへの引きこもりを加速しているかに見える。
人は相手の悲しみや悩みの理解から遠ざかり、己もまた心が揺さぶられる感動から遠くなる。全人格的な相互理解を欠いた人間は争いに走り滅亡への道をたどるかに見える。


(5)これらの不安から脱却する道はある、それは我が国が持続可能な暮らしをしていたほんの数十年前の(不幸な戦争に突入する前の日本の)暮らしを知ること、江戸時代の日本を振り返りこれをそのままでなく今の時代にその知恵を取り入れることだとおもっている。

(6)ではどのように取り入れたらよいのだろう。我が国はグローバリズムによるグローバルマーケットに勝利することで繁栄を築いてきた。しかしこのマーケットで敗れるものも多い。多くは我が国の国土に依存し土地に根差した農業、林業などの一次産業がそれである。一次産業の敗退は自然の荒廃につながる。自然の荒廃は先にふれたように人間という種の衰退につながる。
現役世代は主にグローバルマーケットで活躍し、リタイヤードが自然の保全と人の絆のつなぎ直しを分担する。という考えを実現すべく当会ではヨシ原、里山、里湖の保全に関しボランテア活動を補完する株式会社豊葦原会を平成18年11月に設立した。さらに縁あって連携ができた他の事業体と共に「あんどの里(安土、安堵、AND)」を通じて人の絆の再生の実験に着手したところである。
by azch | 2008-07-15 21:29 | 西の湖環境保全
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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