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駅からはじまるハイキング その2

50コースのなかで「安土」周られた方のブログを紹介します

メール白書(しろう)http://shiirro.at.webry.info/200609/article_1.html

駅からはじまるハイキング プロローグ「使い捨てのボールペン」
<< 作成日時 : 2006/08/29 >>

先日の日曜日の安土は素敵でした。
少し整理に手間取りアップがなかなか出来ません。
記事の前に少し触れて見ますね。

思った以上に素晴らしい町でした。
圧巻はあの、安土城、険しい石段を登りながら数々の思いが去来、汗と一緒に吹き出ては消え吹き出ては消え、天守閣跡に着いたとき爽やかな風に信長の頃へと一瞬タイムスリップe0093407_14495088.jpg

山を降り、更に次を目指すべく文芸の郷の売店でボールペンを買おうと思いました。
軽食コーナーとお土産の店でした。かすかな不安。店員さんは申し訳なさそうに「売るのはありませんね何か書かれるのでしたらお貸ししますよ」
何気ない言葉に店員さんの心が嬉しい。

そばで缶ジュースを飲んでいた学生風の若者が「これ使ってください。使い捨てですから差し上げます」
私はとても嬉しくなり「お金出しますから買わせてください」
若者は「お金を出されるのなら差し上げることは出来ません」と、差し出しかけたボールペンをポーチに収めかけた。慌てて「ごめんなさい、是非譲ってください」
若者は爽やかな笑顔を浮かべ私の手にボールペンを渡してくれた。e0093407_1450916.jpg

ボールペンって使い捨てなんですね。
それをあえて「使い捨てのボールペン。」って口にした若者の優しい心を感じた。
信長の地で、まさに信長の若かりし頃の青年に出会った思いで、次の目的に向う間中、ほんの僅かな時間だったけどインパクトのある頼もしく爽やかな印象をもたらしてくれた青年の事を思った。


駅からはじまるハイキング 3回目 「安土コース」
<< 作成日時 : 2006/09/01 >>

駅からはじまるハイキングも3回目です。
25ヶ月で50コース達成を目指しています。
まだまだスタート切ったばかりです。
飛ばすつもりはないけれど、つい飛ばしたくなりますね(笑)
電車通勤の合間にやっとMAPから花ごよみ、歳時記をもとに
年間MAPを作ってみました。
これからは開花時期、催し、祭りにあわせて出来るだけタイムリーに
ハイキングしてみたいですね。
遊び心を常に忘れず、無理をしないようにボチボチとのんびり
ハイキングを続けたいですね。
安土着10時18分、いよいよ信長のまち安土の地。

安土駅前の信長の像  安土に来たな~っと実感!
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いつものように駅員さんに協力してもらいスタンプをパチリ!

すでに日は上がり、のどの渇きを覚え駅を出発して直ぐに商店街の入り口にある酒屋の販売機で缶ビールを買い立ち飲み(笑)
ガラス戸越しに中を見ると正面に「信長に夢」の清酒が目に入る。
サークルで知った「朝酒、昼寝」さんhttp://michinoku.at.webry.info/のことが浮かぶ。最近は正月以外はすっかり日本酒は御無沙汰。
久しぶりに買ってみようかな?と中に入る。

中では御夫婦で店番、早速「信長の夢」の事を色々聞いた。
本当は濁り酒が人気とか、、でも私は濁り酒は苦手なので普通のを買うことにした。
ただ、これからハイキング、帰りに寄る事にした。
気さくな御夫婦は私のコースを見てくれ色々アドバイス。e0093407_14393558.jpg
MAPに載っていない見所も教えてくださった。
特にお奨めは「観音正寺」ここは今日の安土コースの健脚コース。
安土城をどの時間で下りれるかにかかっている。帰りに寄る事を約束してスタート

これは家に帰ってからすでに飲み始めてから写真がまだだったのに気付き慌てた撮りました(笑)
地酒「信長の夢」 http://www.shigasci.com/navi/19/19sake4.html

北川(きたがわ)の湧水
気持ちよく澄んだ流れを見ているだけで気分スッキリ!足を漬けたい衝動(笑)

ハイキングMAPのビューポイントe0093407_143459100.jpg

常浜水辺公園(じょうのはまみずべこうえん)湖と葦と小舟、、、そしてつり人
ゆったりとした時間が流れる。花には蝶が飛び交っていました。

設定されているコースから少し欲張り西の湖まで出てみました。

セミナリヨの跡
すでに黄金色に頭を垂れ風にサラサラと揺れる田園風景e0093407_14374261.jpg
足の向くまま気の向きまま、
セミナリヨ跡http://www.azuchi-shiga.com/n-seminariyo.htm

この神社の古風な屋根がいいですね。ここもMAPにはありません

安土城入り口
やがて安土山の山すそに到着
桜並木を回り込みいざ安土城への石段e0093407_14415646.jpg

この石段を目のあたりにし、天守閣への道のりが半端でないのを感じました。スケール大のお城を直感、さすが信長、一歩一歩ふみしめるたび当時の超難工事をぶりを思った。
石段の所々に仏像が刻んであった。工事で死んでいった人々への弔いか。

安土城についてはチュー太郎ブログで記事にしました。
見てくださいね。http://shiirro22213s.at.webry.info/200609/article_1.html

安土城の滞在は約2時間余りにわたった。
下りは摠見寺跡を通り三重塔~山門を抜け最初のスタート地点に戻った。e0093407_14421923.jpg

近江米の色づいた田園の中を真っ直ぐと伸びる道路。
幹線と違い車の量が少なく安心して歩ける。
正面の観音山沿いに並ぶ近江風土記の丘に向う

この時ですでに3時前、この後健脚コースの観音正寺を回るか、この近くの桑実寺(ここも結構登るみたいですが、)まで行って安土駅コースにするか迷った。
結局紅葉時期にもう一度、今度は観音正寺を主体に来る事にし、らくらくコースに切り替えた。


桑実寺http://www.town.azuchi.shiga.jp/tourist/03.html

とはいえ、この石段の連続、結構登り甲斐がありました(笑)

しかし、、登った甲斐がありました。
とても静かで爽やかな山からの吹き降りる風に本堂に備えたあった長いすと団扇でしばらくの心地よさ堪能できました。e0093407_14424763.jpg
もう、4時を回った頃でしたけど、観光バスでやってきた一団で賑やかになる頃、今日のコースを終えて安土駅に向かい山を下りました。

そして、朝スタートの時立ち寄った酒屋さんで「信長の夢」を買いました。
御主人は「今の時期の一人での山のぼり、特に観音正寺あたりは毒蛇もいるし、気をつけた方がいい、正直心配していました。
それは今日行かなくて良かった。今度紅葉時の安全な時が良いですね。」と親切に話してくださいました。
一人は気楽な反面、こんな事には注意しなくては、、と思いました。

でもとても変化に富んだ素敵なハイキングコースですね。


安土城 (駅からはじまるハイキング3回目より)
<< 作成日時 : 2006/09/02 >>

メール白書「しろう」で取り上げている駅からはじまるハイキングで
安土駅をスタート、一番の目的は安土城だった。
お盆からはじめたこのハイキングはとても運がよく毎週日曜日は晴れ。雨で流れた事はない。
6月~7月の梅雨頃は毎週日曜日は雨にたたられ出掛ける事の好きな私は、空を見上げては
ため息をついていたものでした(笑)

いきなりの急な傾斜の石段の連続で度肝抜かれますね(笑)e0093407_1451986.jpg

これからも晴れた日は出来るだけ50コースを回っておきたいですね。
同じやるなら満願達成したいものです。
時には雨、雪覚悟で回るときもあるかもしれませんね。
そんなときはキッと今頃のコンデションの良い頃を思い浮かべ早くそんな時が来ないかな~っと思いながら回ってる自分が思い浮かびます(笑)

安土の事はメール白書「しろう」で大体記事にしましたので、特に安土城の事をとりあげますね。

登る前から覚悟が必要ですね。これは半端ではない!  
事前にはあまりお城の事は調べてはいなかったので、大阪城の少し規模が小さくて登りやすい傾斜の石段くらいかな?
そんな認識でした。全くはずれ(笑)
この時点で、安土城の次に思っていた、観音正寺へはこの日は諦めることにしました。(笑)

安土城
安土城(あづちじょう)は、近江国蒲生郡(滋賀県蒲生郡安土町)にあった城。平山城。国指定特別史跡。1576年(天正4)織田信長が近江国琵琶湖湖岸に造成を始め、1582年(天正10)の信長横死後まもなくして廃城となった。大型天守を持つ初めての城。現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧しているルイス・フロイスなどの記録によってその豪華絢爛さをうかがい知ることができる。またここで培われた築城技術が、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

登り始めの案内には「9月から入山料が必要です」とあった。e0093407_14514599.jpg

登っている人と比べると、石垣の規模の大きさが分かりますね。
私はハイキングに備え、靴はトレッキングシューズにしていました。
訪れる人の殆どは観光なので普通の靴でした。
出来ればそれなりはき物で上りたいですね。

石段の所々に仏像が彫られた石段があります。工事で亡くなった人への
鎮魂の意味か?工事がいかに大変だったことかと偲ばれます。

天守閣ちかく。これくらいの勾配になれば、ホッとしますね。
安土城をのぼるのに注意しなければいけないことは飲み物の事です。 
上りはじめのあたりにも、天守閣跡にも販売機等は全くないことです。e0093407_14521667.jpg
必ず用意しておいた方がいいようですね。
下りた時はのどカラカラでした(笑)

あと70段、、ホッとする表示ですね。
焼失する前のお城の図です。凄いスケールだったんですね。
脇のこんな彫り物が、信長が偲ばれますね
下りは摠見寺跡~仁王門へと森のなかのコース

次のサイトでとても良く分かります。
信長コース http://www.azuchi-shiga.com/nobunaga.htm
安土周遊 http://www.azuchi-shiga.com/
安土城は最後まで手が緩みませんね。 
のんびりゆっくりのお城散策というわけにはいきません。
でも、木漏れ日を浴びながら額の汗を拭きながら一歩一歩と下る快感は素敵!

再び大手道へ下りてきました。これで安土城コースは終わりです。e0093407_14523356.jpg

次のサイトでコースが良く分かります
http://park15.wakwak.com/~shibagaki/pa100-map.htm
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by azch | 2006-10-29 14:51 | 観光ネットワーク

JR西日本「駅からはじまるハイキング」 第1位 安土

JR西日本のキャンペーン「駅からはじまるハイキング」


これは関西2府4県、計50箇所の駅に設定されているハイキングコースを周るというもの。
自分の好きな時に、自由きままに楽しめるのが「駅からはじまるハイキング」。
スターターキットを申し込み、スタンプラリーに参加して、素敵なハイキンググッズをGET!。

厳選50コース人気ランキングベスト10で、第1位に 「自然豊かな信長ゆかりの地を歩く 安土コース」が選ばれました。
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10月JR車内の吊り広告で大きくPRしています・・・

ハイキング来訪者の声(次回ブログにて紹介します)
思った以上に素晴らしい町でした。
圧巻はあの、安土城、険しい石段を登りながら数々の思いが去来、汗と一緒に吹き出ては消え吹き出ては消え、天守閣跡に着いたとき爽やかな風に信長の頃へと一瞬タイムスリップ
とても変化に富んだ素敵なハイキングコースです

是非スターターキットを手に入れて、安土の見所を満喫してください。
詳しくはJR西日本「駅からはじまるハイキング」を・・・
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第1位  安土コース   琵琶湖線 安土駅
第2位  打田コース   和歌山線 打田駅
第3位  坂越コース   赤穂線 坂越駅
第4位  粉河コース   和歌山線 粉河駅
第5位  六地蔵コース  奈良線 六地蔵駅
第6位  石部コース   草津線 石部駅
第7位  河内磐船コース 学研都市線 河内磐船駅
第8位  粟生コース   加古川線 粟生駅
第9位  山の辺の道コース 桜井線 桜井駅
第10位 多武峯街道コース 桜井線 桜井駅
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このJRのハイキング厳選50コースは決してメジャーなコースではありませんが、ガイドに基づきじっくりと歩きたくなる期待感一杯。

期間限定、平成20年3月31日まで。
スタンプラリーとコース達成「完歩認定書」記念品、運よければ抽選に依るプレゼント
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関西全域の名だたるコースのなかで「安土コース」が1位に輝いたこと、特にハイキングに訪れた方の評価がベースで選出された事も、今後のまちづくりに大きな励みとなります。
安土のまちづくりの方向性も見えてきました。
今後関連情報発信、各種PR紹介もしていきます。
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by azch | 2006-10-28 21:09 | 観光ネットワーク

京都新聞 駅から町へ 

京都新聞滋賀本社 
特集 駅から町へ 10月21日版にて 「安土」紹介


駅周辺を彩る唐破風様式交番、地下道の屋根を飾る八角形の南蛮風天主塔のハイカラさ。さらに駅前の教会を想起させる二つの白亜のビルも異国風だ。
それに比べ駅舎は、素朴でノスタルジックな感傷さえ誘う。初めて降りた観光客らを「ほっとさせてくれていいわねえ」とか「遠い昔を思い出す」などと言わしめるのもなるほどとうなずける。
JR東海道線の「安土駅」である。

瓦ぶき木造平屋。正面に掲げられた駅名を記す看板はあるが目立たないだろう。
それもそのはず、大正3(1914)年4月25日に開業して以来、駅舎は当地で90余年の星霜を刻み、町を見続けているのだから。
「県内の沿線で開業当時のままというのは、稲枝駅(彦根市)とうちぐらいじゃないですか」と駅員。とはいえ安土駅は、事故などの際の折り返し駅で、駅員6人はみんなJRの正社員である。無人駅や委託駅などと違い、泊まり勤務もある重要駅なのだ。
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安土といえば駅舎こそ小さいが、かの織田信長の命によって築城された安土城が観光の象徴として全国的に知られた町である。
それを駅前周辺の風景をはじめ信長像、織田桜は教えてくれる。
築城開始から3年後の1579年、信長が移り住んだ5層7重の天主閣は金箔に彩られ、空にそびえ輝いていたという。しかし1582年、本能寺の変で主を失うと天主も本丸も焼失。
今年2月、日本城郭協会の日本百名城の一つに選ばれた。
しかし、駅から徒歩約25分の安土山ふもとにある城跡の石垣や階段が、ただ往時を物語るのみである。

駅前地下道をくぐり抜けた所に安土町城郭資料館がある。
昨今は、NHKの大河ドラマや信長ブームも手伝い入館者が多い。
特に館内に置かれた二十分の一の安土城の模型やローマに渡った屏風絵の複製が人気を集める。
確かに「観光客は、昨年10月の6万8千人が、今年は同月で1.6倍になると予測している。今年6月のあづち信長まつりには町の人口1万4千人を上回る2万人以上が訪れた」と町産業振興課の観光行政担当。
もちろん、レンタサイクルや徒歩で駅舎から二、三十分で行ける近江風土記の丘に立つ信長の館、文芸の郷、考古博物館など県の施設も観光客の誘致に大きな役割を果たしている
ことはいうまでもない。
こうした観光客の誘致、歴史と文化の町づくりに駅舎を取り込もうと、町商工会はさまざまな振興策を打ち出す。商工会事務局は「駅に降りたら年代物の駅舎、そして安土城…。訪れる観光客らがタイムスリップしたように感じる町づくりを目指したい」と強調する。

手始めに6月、豊浦港から安土川を上り、安土城の外堀まで行く約2キロのクルージングコース(約30分)を試験運航させたが、「今後は春秋のシーズンに観光客たちを乗せて実施、新たな観光の目玉に」(町、商工会)としており、安土駅を玄関口とした歴史と文化の町は、今、大きく動き出そうとしている。
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〈ピックアップ〉
常の浜水辺公園(常楽寺)
常浜は「西の湖」の南に位置、観音寺城の外港で港町として物資搬入出で大いに栄えた。中心の観音寺城は中世、近江源氏・佐々木六角氏の居城で、山城としては日本最大の規模を誇り、国の史跡指定になる。
常浜は観音寺が廃嘘となった後も港としての機能を維持、昭和の初めごろまで琵琶湖に就航する蒸気船の寄港地として使われた。
ここに設けられたのが水辺公園。水郷に沿って橋が架けられ、芝生の上には休憩場などがあり、のんびり散策などが楽しめる。
付近には数多くのわき水があリ、織田信長の家臣が主君に茶を献上した際使ったという梅の川が流れる。
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by azch | 2006-10-28 18:16 | 安土観光拠点

佐々木六角氏観音寺城イベント 2006

10月22日(日) 
恒例の「第16回佐々木六角氏観音寺城イベント」
新たに始める「第1回観音寺城フォーラム」が開催されました。
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今年は、「日本名城100選」に「安土城」とともに「観音寺城」が選ばれたことも記念し、時期を早めての開催となりました。
午前10時から石寺楽市会館周辺では、地元野菜や特産品の販売やイベントなどが繰り広げられ、楽市のにぎわいを午後四時ごろまで再現しました。
午後1時半からは「観音寺城と石寺のまちづくり」をテーマに観音寺城フォーラムが同会館で開催され、佐久間貴士大阪樟蔭女子大教授による基調講演「城跡の整備と住民の参加」と、県安土城各調査研究所の近藤滋所長や伊庭功所員、町まちづくり協議会の高木敏弘さん、木瀬和男区長を交えてのパネルディスカッションが行われました。

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「観音寺城フォーラム」開催主旨・あいさつ(当日資料より)
本日はようこそ安土にお出で頂きまして、ほんとうにありがとうございます。
皆さん方におかれましては既にご存知のこととは思いますが、今年2月に「日本名城100選」と題しまして、全国からお城の代表が選抜されました。
この選抜には従来にはなかった画期的な基準が採用されたようで、いわゆる天守閣のある著名な城」というものではなく、「人々に親しまれ、かつ歴史的に重要な城」ということで、日本城郭協会というお城の専門家の団体が選んだものと聴いています。

そして安土町からは安土城とこの観音寺城が選ばれました。
これは非常に名誉なことと町長はじめ私どもも喜んでいるととろですが、さらに、本町に所在しております滋賀県安土城郭調査研究所において、ちょうど観音寺城の整傭についての考え方や計画づくりが進められておりまして、安土城に加えて観音寺城の調査整備が具体化しますと、いよいよ安土は「城郭の町」という「顔」で全国に売り出せるものと大いに期待しております。

さて、このような話題性を活かしながら今後、観音寺城を訪れる見学客や観光客を迎え入れることとなる訳ですが、地元石寺として、また地元町当局として、これら見学客・観光客をどう受け入れたらいいのかが課題となります。
これにはまず、石寺住民はもとより我々行政に携わる者も含めて、観音寺城の整備がどのようなものであって欲しいのか、また、城への入口である城下町石寺がどうすれぱいいのかについて考えねばなりません。
これは地元石寺が、あるいは老蘇地域が、もっというなら安土町が「観音寺城によって脚光を浴び、潤う」といづ町づくりの方向を考えようということにもなろうかと思います。

今回計画しました「観音寺城フォーラム」はこのような視点を持ちながら、行政、地元・来訪者のそれぞれの立場から意見を出し合って、ここにおいでの聴衆の皆さんも含めて、来るべき観音寺城の整備を考えようとするものです。今回1回限りではまとめ切れないことが予想されますので、今回を含めて出来れば3回ほど開催したいと考えております。
どうか時間の許す限り、今後の第2回、第3回フォーラムにもご参加頂きまして、観音寺城の活用が地元にとってより有効なものとなりますようご協力をお願い申し上げますと共に、このフォーラムが有意義に進められますことを祈念いたしまして、簡単ではございますがご挨拶といたします。

2006年10月22日 安土町教育委員会教育長木野和也


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第1回「観音寺城フォーラム」
パネラー発表要旨.

○近藤滋氏(滋賀県安土城郭調査研究所所長)
「行政から見た整備のありかた」
かつての指定・公有化は史跡の保護が主体であった。しかし現在では保護ばかりではなく活用が図られるようになり、史跡の整備が全国で進められている。
観音寺城の整備は、指定されている山上のみならず未指定となっている山麓をも含めた一体整備が必要である。

○伊庭功氏(滋賀県安土城郭研究所)
「観音寺城の見学ルートと石寺」
観音寺城は西国三十二番札所観音正寺の境内を利用した城でした。観音寺城の遺構には、これら寺院の歴史と近江源氏佐々木六角氏の歴史とが複雑に交錯して残されており、これは麓の石寺にまで及んでいたと考えられる。

○高木敏弘氏(安土町まちづくり協議会委員)
「イベントと町づくり」
安土の観光のありかたは「もてなし」と「おすそわけ」。イベントはそこへの参加を通じて地域の「光」を発見し、住民の一人ひとりが地域づくりへの意識を高める手段である。意識をもって行動する住民一人ひとりが町づくりの主役となる。

○木瀬和男氏(安土町石寺区長)
「石寺の現状・城の活用と観光、地場産業」
かつて石寺は観音正寺の参詣拠点だった。車社会の到来に伴い参詣者は石寺に来なくなった。今回の整備計画で、未指定地となっている教林坊周辺の追加指定、公有化から景清道・里坊群の整備が望まれる。石寺が元気になる方法を考えたい。
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by azch | 2006-10-28 16:23 | 観光ネットワーク

浄厳院紹介 その2

浄厳院の紹介

◆浄厳院は近江守護の佐々木氏菩提所である慈恩寺跡地に織田信長が天正年間(1573~92)、栗田郡金勝山の浄厳坊の僧侶らを移らせ開基した。
楼門は天文年間(1532~55)、慈恩寺の楼門として甲良大工により建立(仁王像岩座墨書)されるが、浄厳院の創建にあたり浄厳院の楼門として遣わされた。その後、近世には大きな修理を受けなかったが、明治22年に上階が崩落したので屋根を切妻造りにするなどの応急的修理をされた。
平成8年の解体修理により、建立当時の形式がほぼ明らかになったので、現在の姿に復原・整備された。
楼門は平面寸法や組物の構成が垂木間隔(六枝掛)を基準に計画されていること、四隅の柱を他より長く延ばすことなど中世の建築に見られる技法を用いている。一方、部材の組み方は非常に整理された近世的なものとなっている。
この楼門は歴史的には佐々木氏に縁のある旧慈恩寺の楼門である。また建築技法的には中世的なものを遺しながら、整然とした近世的なものへと移行する過度的な技法をもった建物として貴重である。  滋賀県教育委員会
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安土宗論(安土問答)
天正7年(1579)信長の命により、浄土宗の僧貞安・霊誉らと、日蓮僧日珖・日諦らの間で行われた宗教論争。
信長は、京都を中心として勢力を伸ばし、他宗と衝突を繰り返す日蓮宗を押さえようとし、浄土宗に加担。日蓮宗は敗れて処罰者を出し、以後他宗への法論を行わないことを誓わされた。

【現地を訪れて】
浄厳院は織田信長が近江守護の佐々木氏菩提所である慈恩寺跡地に建てたと云われているが、当時本当に「跡地」だったのだろうか。安土城が完成した安土城下に、先の近江支配者・六角氏の菩提所・慈恩寺があることを嫌って、慈恩寺を取り壊して、その跡に浄厳院を建てたのではないだろうか。
古いものを壊して新しいものを建てるのは、新たな支配者が領民達の帰属意識を高めるために行う常套手段である。
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◆織田信長が全国制覇を目前に、その拠点として築いた安土城は炎上し灰燼に帰したが、安土城とともに信長が創建した寺院が安土に残っている。 信長ほど多くの寺院を焼いた武将は後にも先にもいないが、その信長が創建した数少ない寺院の一つが安土に残り、当時を物語っているのは皮肉というべきか。 JR安土駅のすぐ近く、安土山を望む田園地帯の中に堂々たる姿を見せている「浄厳院(じょうごんいん)」がその寺院である。
近江には草創を聖徳太子に遡る寺院が結構多い。 全国に聖徳太子の開基とされる伽藍は48あるが、そのうち近江には12伽藍があり、浄厳院はその一つである。 時代下って室町時代正平年間に、近江の豪族佐々木六角氏頼が 母の菩提を弔うため この地に「天台宗慈恩寺威徳院」を建立したが、この寺は信長の兵火で消失した。 その後、信長が安土城を築城した際、金勝山の浄厳坊に住む応誉明感(おうよめいかん)上人を招き、慈恩寺の跡地を与えて再興させた(天正6年、1578年)のが「金勝山慈恩寺浄厳院」で、 近江・伊賀両国の浄土宗総本山と位置づけられた。
また当寺院は、日本の仏教史上有名な「安土宗論」(後述)の行われた寺として「信長公記」にも記され知られている。

JR琵琶湖線安土駅から西南方向へ10分ほど歩くと線路の南側に浄厳院の森があり、風格ある山門が迎えてくれる。通常参拝者はこの門から入るが、これは裏門(北門)で 正門は反対の南側にある。 正門への道は細い農道で車では行けない。 裏門の山門から入り、境内を通り抜けて正門である楼門から入り直した。
楼門は室町時代後期(16世紀中期)に 旧慈恩寺の楼門として甲良大工によって建てられたものを浄厳院の楼門として遺されたものである。 三間一戸、入母屋造、本瓦葺の2階建の門で、左右に仁王像を配し、非常に均整の取れた美しい建造物である。 平成8年の解体修理により建立当時の形式が明らかになり、現在の姿に復元・整備された。
建築技法的には 中世的なものを遺しながら、整然とした近世的なものへ移行する過渡的な技法が窺える建物として貴重なものとされている。 昭和41年に県文化財に指定された。 

楼門を入ると広い境内が開ける。 正面に本堂、右手に不動堂、釈迦堂、鐘楼が並んでいる。 本堂左手には勅使門、書院と池泉庭園がつながっている。
本堂は、桁行7間・梁間6間、一重、入母屋造、本瓦葺、向拝3間付きの豪華で重厚な堂々たる建物である。 この本堂は浄厳院創建に当たり、近江八幡多賀村(当時)の興隆寺弥勒堂を移したもので、室町後期の建物であるが、移築時に密教系本堂から浄土系本堂に内部が改変されたとされる。 明治36年に国の重要文化財に指定されている。 本尊が阿弥陀如来坐像(国重文)であることから、この本堂は阿弥陀堂とも呼ばれている。

本尊の阿弥陀如来像は平安時代の作で、犬上郡の古い大寺の本尊であった「二階堂本尊」を移したものであることが 台座の銘から判明している。
丈六の阿弥陀如来坐像で像高は 2.73m、全国的に見ても法界寺、法金剛院、三千院に並ぶ秀作とされている。 特に光背、天蓋を完備している点で注目されている。 本尊の頭上には雲文宝相華文を配した天蓋があり、背後には飛天の光背を負っている。 光背には 一体の大日如来坐像と十二体の飛天が透し彫りになっており、極楽浄土の雰囲気を醸し出し、荘厳な本堂に安置されるに相応しい仏像である。

本堂右手の不動堂は宝形造、桟瓦葺で禅宗様を取り入れた価値の高い小堂である。 江戸中期(1702年頃)に建てられたものである。 鐘楼は県内では珍しい袴腰付きの大型鐘楼で、平面は1間3.67mの方形である。 江戸中期(1742年頃)の建築と認められている。
他に当寺院の寺宝として、「絹本着色山王権現像」「厨子入銀造阿弥陀如来像」「厨子入銅製舎利塔」等があり、いずれも国の重要文化財に指定されている。その他、応誉明感上人画像、安土宗論記録等があるが、これら寺宝は年1回の虫干し会に出されるだけで普段は一般公開はされていない。
また浄厳院周辺は墓地であるが、その中に旧慈恩寺時代からの一角があって 佐々木一族の墓が立ち並び、佐々木満綱、持綱、時綱の三塚もある。
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【 安土宗論 】
安土桃山時代の仏教史の中で特筆されるのは、天正7年(1579年)5月に起こった「安土宗論」である。
関東の浄土宗の僧・霊誉玉念が安土に来て法話をした。 その聴衆の中に日蓮宗の信者が2人いて法話に言いがかりをつけて議論したいと申し出た。 玉念は それなら日蓮宗の代表的な僧を連れて来いと言い騒ぎとなった。 それを聞いた信長は、かねてから日蓮宗が他宗を排除しようと攻撃しているのに腹を立てており、機会があれば押さえ込もうと考えていたので、この時とばかり裁定に乗り出した。
家臣に命じて京都から日蓮宗の代表といわれる僧を数名呼び寄せ、浄厳院で問答を開くよう指示した。浄土宗の僧 貞安・霊誉ら4人と日蓮宗の日珖・日諦ら4人が列席して激しく宗論を闘わせた。結局、信長は浄土宗側に有利な裁定を下し、日蓮宗は敗れ処罰され 以降他宗への法論を禁じられたとされている。 それ以来、浄厳院では毎年11月の法要には、必ず「かちどき念仏」が唱えられているという。
 
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by azch | 2006-10-27 20:13 | 安土観光拠点

安土浄厳院まいり

浄厳院まいりの復活を目指して
10月8日から11日まで 秋季法要

特に今年は、9日(祝日)に昔の浄厳院まいりを復元すべく大イベントを開催

各地区詠唱講による詠讃歌奉納
安土問答ゆかりの太鼓念仏(かちどき念仏)奉納
浄厳院所蔵重要文化財パネル公開
境内にて安土楽市浄厳院版設営
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近畿各所から300名に近い詠唱講の皆さんが来院、詠讃歌の大奉納、午後10時から午後3時すぎまで本堂は座る場所もないほど盛況でした。
浄厳院名物「安土宗論」の縁起を担ぐ「太鼓(かちどき)念仏」も奉納されました。
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浄厳院
信長が安土城の築城とともに、伊賀と近江の浄土宗総本山として再興した寺。
本堂をはじめ、五つの国指定重要文化財を所有。天正7年に浄土宗と日蓮宗との問で安土宗論(安土問答)が
おこなわれたことで有名。宗論に勝った浄土宗が唱えた「かちどき念仏」は今も伝えられている。
この「かちどき念仏」は浄土宗側の勝利を喜んだ信者達がその喜びを鉦と太鼓で威勢よく唱えたことに由来しており、浄厳院独特のものとされている

年一度の安土問答ゆらいの珍しい「かちどき念仏」も奉納され、昔の近隣では有名な「浄厳院まいり」の賑わいを、一時でも復活できました。
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浄厳院紹介(現地案内板、教育委員会、その他紹介文より抜粋)

◆天正6年(1578)織田信長によって建てられた浄土宗の寺である。
この地には、もと佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)の跡地であり現在も大字慈恩寺として地名に残っているが、近江八幡市多賀町にあった興隆寺のお堂(本堂重要文化財)を移し、栗田郡(現在の栗東市)の金勝寺より明感という僧侶を招いて金勝山浄厳院とした。
また、本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)は愛知郡二階堂にあった古寺より譲り受けたもので平安時代の作である。
ここはまた「信長公記」(太田和泉守牛一著)に見られる、法華宗と浄土宗との間で争われた「安土問答」の場としても有名である。 現地案内板より

本堂は昭和38年(1963)に修理され、朱塗りの楼門は、平成5年(1993)に解体修理され見事に復原されている。
浄厳院の広い墓地には旧慈恩寺時代からの一画があり、佐々木一族の墓が立ち並ぶ。いずれも風化が激しく彫られている文字は判読できないが、この墓塔は慈恩寺を建立した佐々木氏頼(佐々木家第6代当主)のものであると云われている。この他に、六角満綱,持綱,時綱の墓と伝えられる五輪塔もあると云われている。

安土問答
信長はかねてより、日蓮宗に対してこころよく思っていなかった。
何か機械があればとねらっていたところ、ふとしたことから安土に浄厳院で浄土宗と日蓮宗とが宗論を行うことになった。この宗論は浄土宗が有利になるように仕組まれていたから、当然浄土宗の勝利となった。
このことがあってから現在でも11月2日からの浄厳院の法要には必ず「かちどき念仏」なるものが唱えられている。
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by azch | 2006-10-27 20:12 | 安土観光拠点

湖川の街道(うみのみち)06秋バージョン その2

2006年10月19日、20日
カナダ藻撲滅水路確保 大作戦

4日のホテイアオイ清掃大作戦にて県道下は水路が確保できましたが、問題は下流域のカナダ藻も大発生です。
実際に和船運行が出来ないほど繁殖してしまい、人海戦術だけではとうてい処理できない状況となっていますた。e0093407_17243618.jpge0093407_1724514.jpg












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そこで、商工会会長の本業である造園業の全面協力と業者より重機(長いアームのユンボ)を借用し、本格的な浚渫とカナダ藻の除去作業を行いました。

10月19,20日、河口全面の除去は到底不可能なため、ユンボのアームが届く5メートル幅にて約200メートルの距離を作業し、西の湖近くの永代橋からカントリー横のたつた橋まで和船の運航が可能となりました。
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西の湖豊浦港~常の浜港の完全開通までには、まだ多くの難問が残されていると思いますが、今秋中には目処をつけると供に、具体的コースにて試運行を開始していきます。

川幅一面に繁殖したオオカナダ藻
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水路開けた西の湖河口永代橋から山本川
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堤防に積まれた水草と藻
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作業終了後、水路がきれいに開かれた山本川
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今回除去対象の水草

ホテイアオイ(地元では軍艦草とも呼ぶ)
明治時代の初期に、アメリカから持ち込まれ、逸出して広がったとされている。繁殖すると爆発的に広がって水面を多い、船の走行を妨げる。熱帯地方でのその害が伝えられていたが、滋賀県でも、内湖や池などの水面いっぱいにホテイアオイが広がっているのを見ることがある。もともと熱帯産であり、冬は日本では越冬できず一年草であるといわれていたが、最近ではかなり広い範囲で越冬している。滋賀県でも霜が当たらないような場所で越冬しているのを見ることがある。西の湖では水路いっぱいに広がっている場所がある。
ホテイアオイの名前の由来である葉柄が大きく膨らんだ葉を持ち、水上に浮いている。水中に根を下ろすと同時に走出枝を伸ばして新しい下部を作っている。葉は大きくなると1メートルていどにまでなり、浅い場所で根が地中に入ると株はさらに大きくなり、葉のふくらみは小さくなる。花は6月から11月ころまでの間、葉の間から立ち上がった花茎に淡紫色の美しい花を多数つけて、咲き続ける。葉のふくらみの中はスボンジ状の構造となっていて、ここに空気をためて水上に浮いている。
駆除する場合には、水面に浮いている個体を取り除く以外にない。

オオカナダモ
水中で異常に繁殖し、船の走行の邪魔になったり、流れ藻となって岸に打ち寄せ、腐って悪臭を発する。
全長1メートルを超え、茎の上部では分枝する。葉は三輪生で、葉身は長さ1,5から4センチ、幅2~4.5ミリ程度、ごく細かい鋸葉がある。花は5月から10月ごろに花茎を伸ばして、水上に白い花を咲かせる。雌雄別株であるが、日本には雄株だけしか入っていない。
低温や水質汚濁にも耐えて、そのまま越冬し、また流れ藻となって、節から不定根を出して広がる。また殖芽を作り、株からはなれて冬を越し、春に芽を出して広がることもできる。
大正時代に整理実験用に持ち込まれたものが野生化したといわれており、1970年代に琵琶湖で大発生して話題になった。


今のように化学肥料のなかった昔は,農家が水草をかりとって,田の肥料に使っていたところがあったそうです。この「も刈り」は,水中の養分をたっぷり吸いこんだ水草を適当に取りのぞくため,水をきれいにすることにも役だっていました。
最近ではこうしたこともなくなり,生活排水,産業廃水,田畑の化学肥料や農薬などが川や池に流れこみ,水がよごれるようになりました。このことにより,コカナダモやオオカナダモやホテイアオイなどの帰化水草がふえはじめたといわれています。このように,コカナダモやオオカナダモは,よごれた水のところに多くみられます。

作業前の西の湖への水路(たつた橋から永代橋)
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作業終了後の水路
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by azch | 2006-10-26 17:32 | 湖川の街道事業

湖川の街道(うみのみち)06秋バージョン その1

安土「湖川の街道(うみのみち)」プロジェクト
06秋バージョン 西の湖常の浜から豊浦港までの水路再開発


06年度安土町商工会として、経済産業省・全国商工会連合会事業として
「地域資源∞全国展開プロジェクト」事業を推進中


地域の小規模事業者を中心として、行政・各種団体との協働による観光集客・交流を目的とした事業

実践編の核として、安土町「湖川の街道(うみのみち)」事業を推進

事業の目的  
JR安土駅を基点とする安土町内の観光循環ルートとして、従来の陸路のルートに加え、「西の湖」や安土城下の水路・河川を活用した水路ルートを確立し、街中への観光客誘導促進と商店街の活性化を図ると同時に、地域住民のもてなしの心(ホスピタリティー)と美化意識を育成していく

主催      
湖川の街道実行委員会(安土町商工会・安土町観光協会・NPO安土まちづくり研究会主体)
   
全体構想
常楽寺港から西の湖に入り、安土川から安土城跡の外堀を巡り、文芸の郷にいたる安土城下町の水路一帯を和船で巡る「湖と川と堀のルート」・・・「湖川の街道」うみのみち
JR安土駅→常楽寺港→豊浦港→百々橋→セミナリヨ→外堀→大手橋(仮称)→文芸の郷
水深、既設施設等の制約により来春航行予定ルート  百々橋⇔外堀⇔大手橋
これ以外のルートについては浚渫や既設施設の改良等を関係機関に積極的に働きかけ全体構想の早期実現を目指す

信長公も利用した西の湖から安土山・安土城跡外堀を含めた、安土城下和船での“安土城跡歴史めぐり”ルートを確立し、安土城跡と西の湖を観光誘致に最大限生かしていく。

目標とするモデルコース(一例)
JR安土駅(徒歩10分)⇒西の湖常楽寺常の浜港⇒西の湖水郷めぐり豊浦港(やすらぎホールにて休憩&食事)⇒安土川経由にて安土城百々橋口(安土城跡散策)⇒セミナリヨ跡⇒安土城外堀⇒文芸の郷(徒歩30分)⇒JR安土駅 (途中休憩も入れ6時間程度)



10月度推進項目
常楽寺常の浜港から西の湖へのコース水路づくり
山本川の浚渫と水草除去作業
西の湖豊浦港~常の浜港の運行をめざして
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地域内水路循環コースの玄関口となる常の浜、地元常楽寺区の努力もあり、水草(ホテイアオイ)の繁殖もなく綺麗な状態です。
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問題は西の湖への出入り口である、山本川の大江橋県道下((大津長浜線)のホテイアオイの群生と、下流たつた橋から永代橋までの200メートルに渡るカナダ藻等の水草の繁殖(特に今年は猛威をふるっています)により、航路を妨げている状態です。
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昨年より河川を管理する県や町行政に浚渫を要請してきましたが具体的動きもなく、その間ますます水草が繁殖してしまいました。
このままでは、水路全体は覆い尽くされて、除去作業に大幅な費用が発生する懸念が出てきため、今回の「地域資源∞全国展開プロジェクト」の一環として、除去清掃活動を実施しました。
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山本川ホテイアオイ清掃大作戦
2006年10月4日

難問山積ですが、その第一関門は山本川のホテイアオイです。舟が全く通れない状態まで群生してしまいました。今回はホテイアオイの撤去を主に実施し、商工会会長の造園会社の全面協力にて、重機によるフル作業により県道(朝鮮人街道)下のホテイアオイは綺麗に撤去できました。
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量はなんとトラック20数台分、今後は町、地域としても早い時期での撤去清掃が必要であり、関係機関と調整していきます。
ホテイアオイは目処がつきましたが、西の湖近くの下流域にはカナダモなど藻が今年は特に猛威をふるって、航路を妨げています。
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by azch | 2006-10-26 16:38 | 湖川の街道事業

安土城考古博物館 秋季特別展開催

平成18年度秋季特別展
信長の城・秀吉の城-織豊系城郭の成立と展開-
 織田信長と豊臣秀吉によりおしすすめられた天下統一事業は、それまでの城作りをも一変させました。いわゆる織豊系城郭の成立です。安土城・大坂城・聚楽第などは、高い石垣をめぐらせた城の縄張や礎石を使用して金箔瓦を葺いた建物、そして本丸に高くそびえる天主・天守などで構成されていました。これら、新しいかたちの織豊系城郭は、天下統一事業の進展とともに日本全国へ広まり、各地でその威容を誇示するようになります。見慣れない高石垣や天守を仰ぎ見た人々は、そこから長い戦乱の終息と新しい権威の登場を実感したのでしょう。
 今回の秋季特別展は今も全国各地に残る近世城郭の祖形となった織豊系城郭の成立と展開を安土城・大坂城・聚楽第はもとより、近年調査が進む各地の織豊系城郭の出土資料を中心にして、文献資料・美術資料を織り交ぜながら紹介していきます。
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期 間 平成18年10月7日(土)-11月19日(日)
開館時間  午前9時~午後5時(ただし入館は午後4時30分まで)
主 催 滋賀県立安土城考古博物館
入館料 大人860円(660円) 高大生610円(450円) 小中生400円(300円) 
※( )は20人以上の団体料金です。 ※「信長の館」との共通券もあります。
休館日  月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)
(10月10日、16日、23日、30日、11月6日、13日) 

■主な展示資料 大坂城図屏風(部分) 
大阪城天守閣蔵
聚楽第跡出土金箔瓦(京都府教育委員会蔵)
築城図屏風(名古屋市博物館蔵)
大坂城図屏風(大阪城天守閣蔵)
聚楽第行幸図屏風(堺市博物館蔵)
名古屋陣之図(佐賀県立名護屋城博物館蔵) 
豊臣時代大坂城指図(中井正知氏蔵 京都市歴史資料館寄託)
牙城郭櫓実測図(岡山大学附属図書館蔵)
大坂城跡出土金箔瓦((財)大阪府文化財センター・(財)大阪市文化財協会保管)
伏見城跡出土金箔瓦(京都市考古資料館蔵)
甲府城跡出土遺物(山梨県立考古博物館蔵)
岡山城跡出土金箔瓦(岡山市教育委員蔵)

■記念シンポジウム「信長の城・秀吉の城」
日時:10月15日(日) 13:00~17:00
[コーディネーター]中井 均氏(米原市教育委員会)
■事例報告1
  「近世城郭の成立と石垣」 乗岡 実氏(岡山市デジタルミュージアム)
■事例報告2
  「金箔瓦の出現と展開」 加藤 理文氏(織豊期城郭研究会)
■事例報告3 
  「天主から天守へ」 木戸 雅寿氏((財)滋賀県文化財保護協会)
 場所:当館2階セミナールーム
 事前申込不要、当日12:30から受付

■博物館講座
・博物館講座 「熊本県麦島城跡の調査」
日   時: 10月29日(日)午後1時30分~
【講師】 山内 淳司 氏(八代市教育委員会)

・博物館講座 「山梨県甲府城跡の調査」
日   時: 11月3日(祝)午後1時30分~
【講師】 宮里 学 氏(山梨県埋蔵文化財センター)
場所: 当館2階セミナールーム 事前申込不要、当日13:00から受付

■お問い合わせ 滋賀県立安土城考古博物館
〒521-1311 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦6678 
TEL:0748-46-2424 FAX:0748-46-6140
E-mail gakugei@azuchi-museum.or.jp
HP  http://www.azuchi-museum.or.jp

交通のご案内
鉄道:JR琵琶湖線「安土駅」より徒歩25分。もしくは「安土駅」よりレンタサイクル9分。
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by azch | 2006-10-09 00:46 | 観光ネットワーク

滋賀県安土城郭調査研究所 史跡案内ウォーク

今秋も昨年に続き、県安土城郭調査研究所にて史跡ウォークが開催されます。
日本100名に選定された安土城跡と観音寺城跡の2コース、それぞれ城下町と旧街道を織り込んだ魅力ある内容です。
商工会、まちづくり研究会等地域各種団体とも連携した形で実施します。
是非とも参加下さい。

史跡案内のご案内

昨年度に引き続き、史跡案内を実施します。今年は二つのコースを用意しています。皆様ふるってご参加ください。

1.安土城跡・安土城下町と朝鮮人街道の旅
日時:2006年10月28日(土) 午前10時 JR安土駅集合 16時30分JR能登川駅解散
行程:安土駅→浄厳院→常楽寺港→近江風土記の丘(※滋賀県立安土城考古博物館・信長の館・昼食)→安土城跡→朝鮮人街道(超光寺・伊庭御殿)→能登川駅
     全行程約12km  ※は自由見学
・浄厳院拝観料300円+安土城跡入山料500円+博物館・信長の館入館料約960円が必要になります。
・当日限り、滋賀県立安土城考古博物館および信長の館に団体割引料金で入館できます。
・滋賀県立安土城考古博物館では特別展「信長の城・秀吉の城」を開催中です。

2.史跡観音寺城跡をめぐる東山道の旅
日時:2006年11月25日(土) 午前10時 近江鉄道武佐駅集合 16時30分JR安土駅解散
行程:武佐駅→旧東山道(武佐宿・浄厳院道道標)→老蘇の森・奥石神社→石寺(昼食)→観音寺城跡→桑実寺→(※滋賀県立安土城考古博物館・信長の館)→安土駅
     全行程約10km ※はオプション・自由解散
・桑実寺拝観料300円+博物館・信長の館入館料580円が必要になります。
・当日限り、滋賀県立安土城考古博物館および信長の館に団体割引料金で入館できます。
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3.申込方法
・往復葉書に、御希望のコースと住所・氏名・連絡先をお書きの上、下記までお申し込みください。
・当日は弁当、水筒をご持参ください。途中で購入する場所はありません。なお、弁当を斡旋いたしますので(1000円)、御希望の方は、参加申込の葉書に、弁当希望の旨と個数をお書きください。
・1枚の葉書での応募は、最大2名までとさせていただきます。
・申込多数の場合は、先着100名までのご参加とさせていただきます。結果については、返信葉書にてお知らせいたします。
・駅付近には駐車場が無いため、参加される方は公共交通機関をご利用ください。
・参加費は無料です。ただし、保険料として100円程度頂戴いたします。
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4.申し込みおよび問い合わせ
滋賀県安土城郭調査研究所 〒521-1311 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦6678
TEL0748-46-6144 FAX0748-46-6145 E-mail ma16@pref.shiga.og.jp
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by azch | 2006-10-09 00:38 | ウォーク&ハイク
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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