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カテゴリ:ウォーク&ハイク( 22 )

第2回びわ湖トライアスロン

第2回びわ湖トライアスロン6月19日宮ヶ浜


=招待選手に宇田選手(甲賀市)=
大会成功を目指す実行委員会メンバーと招待選手の宇田選手(左)
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 「第二回びわ湖トライアスロンin近江八幡」が六月十九日、近江八幡市宮ヶ浜を主会場に開かれる。
 「JTU2016トライアスロン エイジグループランキング対象大会」、「第七十一回国体滋賀県代表選手選考会」、「近畿ブロック選手権」を兼ねた公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)公認レースで、出場選手の申込みを受け付けている。
 二〇二四年滋賀国体で同競技会場の誘致を目指す実行委員会(はちまん青年経営者会、県トライアスロン協会、株式会社まっせなどで構成)が主催する。
 競技内容は、スタンダードタイプ五一・五キロ(スイム一・五キロ、バイク四〇キロ、ラン一○キロ)とスーパースプリント一二・八七五キロ(スイム三七五メートル、バイク一〇キロ、ラン二・五キロ)の二種目で、一般対象のスタンダードタイプにはエイジ(一八歳以上四〇〇人)、リレー(二〇チーム)と障害者のパラ(二〇人)の三部門を設ける。競技は午前八時から午後一時まで。
 距離が短いスーパースプリントでは、中・高校生対象で障害者も含むジュニア・パラジュニア(四〇人)とリレー(十五チーム)の二部門を設ける。
 スタンダードタイプのコースは、宮ヶ浜前のびわ湖を三角形に二周回のスイム、大中干拓地を四周回するバイク、琵琶湖岸道路を四周回するランを設け、タイムを競う。
 今年の大会には、第一回大会レースに初参加し、パラの部で二位に入賞した甲賀市信楽町の会社員、宇田秀生(ひでき)選手を招待選手に迎え、大会を盛り上げる。また、バイクのコースにある能登川水車とカヌーランドにレースの観覧場所を設ける。
 出場申込みの締切りは、三月三十一日(ただし、定員に達した時点で締め切る)。
 参加資格、参加費等、詳しくは実行委員会(TEL0748―47―2045)へ。
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by azch | 2016-01-27 22:09 | ウォーク&ハイク

2011げんきウォークin近江八幡

げんきウォークin近江八幡 西の湖を周回する14キロ

=来月3日まで参加受け付け=
重要文化的景観全国第一号の「近江八幡の水郷」をフィールドに健康増進を図ろうと、三月十九日に「2011げんきウォークin近江八幡」(市・市体協・市体育指導委員会・市学区体振連協主催)が、あづちマリエートを発着点に開かれる。
健康な人なら誰でも参加できる。近江八幡市安土町桑実寺のあづちマリエートを午前九時半にスタート。ラムサール条約登録湿地の西の湖をB&G海洋センター、白王町、円山町、西の湖園地と巡り、あづちマリエートに帰ってくる、十四キロの湖畔を巡る周回コース。
テーマは「ゆっくりと ともに歩こう 未来のために」。ゴール最終予定時刻の午後三時までに、それぞれのペースで、自然と景観を楽しみながら、ゴールをめざして歩く。完歩者には「げんき証明書」が交付される。
参加申し込みは、近江八幡市津田町の市立運動公園体育館内の実行委員会事務局や市内各学区コミュニティーセンター、安土町総合支所文化体育振興課に備え付けの申し込み用紙で、三月三日までに。
参加料(当日会場で徴収)は、中学生以上五百円、小学生以下三百円。昼食・水筒・雨具・着替え・健康保険証など持参。小学生以下には保護者、障がいのある人には介護者が必ず同伴すること。
問い合わせは、同事務局TEL0748―33―6303へ。
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by azch | 2011-03-02 23:36 | ウォーク&ハイク

東海道線全通120周年記念 織田信長公の夢を訪ねて

JR東海さわやかハイキング 東海道線全通120周年記念 
織田信長公の夢を訪ねて 6月28日開催

コース 約8.8km 所要時間 約2時間30分
安土駅→信長の館→安土城考古博物館→安土城跡→常浜水辺公園→沙沙貴神社→浄厳院安土駅
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「信長の館」は、1992年スペイン・セビリア万国博覧会日本館メイン展示に出展された、幻の安土城天主5・6階部分の原寸復元を展示しています。安土城は、天正7年(1579)、織田信長の命で建てられましたが本能寺の変後3年で焼失し、「幻の名城」と呼ばれてきました。
安土町城郭資料館は中世の安土に関する資料を中心に集めた資料館です。なかでも、20分の1のスケールで再現された幻の名城"安土城"は必見です。
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by azch | 2009-06-28 18:22 | ウォーク&ハイク

JRふれあいハイキング 2008春その4

JRふれあいハイキング第4弾 5月18日
沙沙貴神社「なんじゃもんじゃ」と安土城下を歩く

JR安土駅(10:15)⇒郷土館⇒沙沙貴神社・参拝なんじゃもんじゃ(10:30)⇒浄厳院・参拝(11:15)⇒文芸の郷(12:30)昼食・「信長の館」他見学⇒安土城考古博物館(13:30)⇒安土城大手(14:35)⇒セミナリヨ跡(14:55)⇒安土楽市楽座館(15:30)
オプション 安土城跡見学(14:20~15:45)

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by azch | 2008-05-19 19:46 | ウォーク&ハイク

JRふれあいハイキング 2008春その3

4月20日(日)JRふれあいハイキング 摩崖仏「内野十三仏」千日会参拝から中山道へ 老蘇(中山道経由)、内野「十三仏」参詣、元気園、奥石神社、石寺楽市

十三仏千日会(安土町内野)
箕作山の南麓に聖徳太子が爪で13体の仏像を刻んだと伝えられる巨大な一枚岩がある。 毎年4月24日に近い日曜日に千日会が盛大に行われる。

聖徳太子が岩に刻んだという十三仏
安土町の南東にある箕作山(みつくりやま)は、地元では岩戸山の名で親しまれています。この山頂にある巨大な一枚岩に、13体の仏さまが刻まれています。
飛鳥時代、聖徳太子が金色の光を発する不思議な岩を見つけられ、仏のお導きと思い仏像を彫ろうとしましたが、道具を持っていなかったので自分の爪で刻んだ、といういい伝えがあります。
現在、仏さまを刻んだ岩の前にはお堂が建ち、外から見ることはできませんが、熱心な信者が毎日お参りをしています。毎年4月には千日会が盛大に行われます。

古来、我が国では大きな石や岩などを神に見立てて崇拝する習わしがあった。
岩戸山にはこの様な言い伝えがあった。
「飛鳥時代、(約1300年前)聖徳太子がこの山の南裏に互屋寺を建てられたとき、同じ山峰の向うの岩戸山に金色の光を発する不思議な岩を見つけられた。
太子はこれは仏のお導きと思われこの岩までたどり着かれ、仏像を彫ろうとされたが、道具を持ってこなかった。そこで自らの爪で十三体の仏を刻まれた」と言う。
この様な巨岩に仏像を彫刻したものを「摩崖仏」と言い、この十三仏は安土で唯一の摩崖仏である。 

コース
JR安土駅(10:00)⇒10:50中山道 東老蘇⇒11:10十三仏登山口⇒11:50十三仏参拝⇒12:30⇒十三仏登山口・昼食⇒13:30奥石神社⇒14:10石寺楽市⇒15:45JR安土駅
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by azch | 2008-04-21 22:09 | ウォーク&ハイク

安土桜ウォーク

「文芸の郷さくらまつり」に合わせて
安土町観光協会主催で4月13日実施された
「安土桜ウォーク」
観光協会HPより紹介
 9:00 JR安土駅、 安土楽市楽座館で受付
10:00 和船にて常浜水辺公園より西の湖へ (先着60人)
10:40 西の湖下豊浦港到着 安土城跡と桜の名所、江藤の丘を散策
12:30 文芸の郷(昼食) 桜まつり 参加 信長の館と安土城考古博物館見学
15:00 シャトルバス15:40 JR安土駅解散

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by azch | 2008-04-17 21:49 | ウォーク&ハイク

JRふれあいハイキング 2008春その2

安土城下と「沙沙貴祭り」を歩く 4月5日
沙沙貴まつり「大松明」の出発点で、出発の儀式や手桶踊りを見学

参加者60名

当日の案内パンフより(ボランティアガイド協会作成)
スケジュールJ
R安土駅(10:15)⇒城郭資料館(11:15)⇒浄厳院参拝・昼食(12:40)⇒沙々貴神社参拝・見学(13:40)⇒北川湧水・城下(14:30)⇒常楽寺会館「松明引出し見学」(15:00)⇒安土楽市楽座館経由(15:40ごろ)解散

コースの見所
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景清道(かげきよみち)
観音城跡のある繖山の南麓、石寺の集落を通り、繖山中の鳥打峠を越え、小中・常楽寺の集落を経て浄厳院の門前を通る道です。かつて平安末期の武将平景清が、平家復興の祈願のため、尾張より京都へ行く際に通ったことに由来すると言い伝えられています。あるいは主要な道を避けて通る、「かげのみち」からきているという説.もあります。

浄厳院(じょうごいん)
浄厳院は、浄厳坊隆暁が近江国栗太郡金勝山(現滋賀県栗東市)に結んだ草庵(後の阿弥陀寺)に起源を持つ浄土宗寺院です。鷹狩りの途中で阿弥陀寺八世応誉明感に出合い、その人徳に感じ入った信長がこれを安土城下に呼び寄せ当寺院を建立しました。
天7年(1579)、浄土宗と法華宗(日蓮宗)との聞で行われた安土宗論の舞台となったことでも有名です、浄土宗の勝利をたたえる「かちどき念仏」は現在在に伝えられ、10月上旬におこなわれております。本堂、ご本尊(丈六・阿弥陀如来坐像)、楼門などは国指定の重要文化財で、その他多数の文化財を有しております。
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沙沙貴神杜〈ささきじんじゃ)
ご祭神は少彦名命、大彦命、仁徳天皇、宇多天皇・敦実親王の四座・五柱。延喜式神名候に記載された(式内社)同名の神社に比定されています。また、中世近江を支配した(近江守護職)近江源氏佐々木氏の氏神として知られております。
社名は、古代、当地に勢カをもった佐々貴山君(狭狭城山公とも)に由来するが、蒲生郡篠笥(ささき)郷に属したためともいい、また少彦名命の出雲下り伝承や、仁徳天皇の名・大鷦鷯(おおさざき)にまつわると.いう説もあります。初めは佐々貴山君一族の氏神であったが、後に、佐々木荘を管理する宇多源氏系の佐々木の勢力下になったと考えられています。
社殿などは、天保14年(1843〉に火災で焼失したため、弘化5年(1848)讃岐丸亀城主京極氏の援助によって再建されました。楼門は延享4年(1747)建立。
天正9年(1581)に、信長公から雁、鶴を与えられた返礼に、町人たちが沙沙貴神杜で能を催したことが『信長公記』に記されています。現在の建造物は殆んどが、県指定の重要文化財になっています。
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城下町・常楽寺港
中世から、湖東方面の荘園年貢を積み出した港として知られています。信長が城下町を建設した際も、港の機能を取り込むため、城下町に取り込まれました。東海道線が開通するまで使われていましたが、現在では常の浜水辺公園として整備されています。

木村城跡
土豪・木村氏の城館があったとされているところです。木村氏は近江守護職六角氏の被官でしたが、信長の近江侵攻後は信長に従い、一族木村次郎左衛門は安土城下町建設後、町奉行となります。木村城跡はこの地に比定され常楽寺港につながる水路を堀として利用していたようです。現在は畑となっていますが、かつての堀は水路として残っています。
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by azch | 2008-04-07 21:41 | ウォーク&ハイク

JRふれあいハイキング 2008春その1

JRふれあいハイキング
早春の安土城「信長の夢を訪ねる」 3月16日

主催:安土町観光ボランティアガイド協会
参加者 120名

当日の案内パンフより(ボランテァイガイド協会作成)
スケジュール

JR安土駅(10:00)⇒城郭資料館(10:50)⇒信長の館(12:00)⇒昼食(12:40)⇒安土城考古博物館(13:30)⇒安土城大手・安土城跡(14:55)⇒セミナリヨ跡(15:10)⇒安土楽市楽座館(15:30)・・・解散

コースのみどころ
景清道(かげきよみち)
観音城跡のある繖山の南麓、石寺の集落を通り、繖山中の鳥打峠を越え、小中・常楽寺の集落を経て浄厳院の門前を通る道です。かつて平安末期の武将平景清が、平家復興の祈願のため、尾張より京都へ行く際に通ったことに由来すると言い伝えられています。あるいは主要な道を避けて通る、「かげのみち」からきているという説.もあります。

城郭資料館
残された資料をもとに、安土城を精密に再現した20分の1の模型が、関連する資料とともに展示してあります。模型は申聞で分割できますので、内部の部屋の様子を見ることができます。内部のどこかの部屋で信長公が皆様にご挨拶をしております。さあ、どこでしょうか探してください。
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繖山(きぬがさやま)
琵琶溺の東、湖東平野にある標高432.9メートノレの山で、別名観音寺山ともいわれています。山容が、貴人にさしかざす衣蓋(きぬがさ)に似ているので「繖山」と名付けられたようです。一説には西側の申腹にある「桑賛寺」の開祖、定恵和尚が中国より養蚕技術を持ちかえり、広めたことにちなみ、蚕が糸を散らす様から名付けられたとも伝えられています。
山頂近くの南側には、西国三十三所第三十二番札所『観音正寺」があります。このお寺は、聖徳太子によって開山されたとも言われております。また山頂近くには、中世の近江守護職、近江源氏佐々木氏の居城「観音寺城」の重厚な石垣遺構が現在も残っております。

信長の館
安土城天主、「信長の館」には、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博で日本のメイン展示物として出展された原寸大の安土蛾天主(5・6階)が展示されています。内部には、当時信長公が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鱗をのせた大屋根など絢燭豪華な安土城がここに複元されています。
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安土城考古博物館
近江風土記の丘の一角にある西欧風の博物館です。館内では、近江の弥生時代から古墳時代の生活様式を再現している他、信長公と安土城に関する資料を中心に、中世、近世の城郭に関する資料が展示されています。また、期聞を定めて、古代から近世にいたるまでのテーマで「企画展」が開催されています。
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安土城大手跡
天正4年(1576)信長公の命によって築城された安土城の大手跡については、一昨年まで発掘調査によって意外な事実が判明しました。城の中心部にいたる直線部に伸びた大手道の入口にあったとみられる大手門は、破損により不明となっていますが、それに続く東西石塁の延長線上に、2ヶ所の虎口(お城の入口)と1ヶ所桝形(折れ曲っ一た入口)虎口の遺構が確認されました。
またその全面には、南北(奥行)約44メートル、東西(間口・幅)60メールにわたる広場が造成されていたことがわかりました。安土城の玄関口にあたる場所に、複数の門を設け、かっその全面に広場があったことは、信長公の特別な意図があったと考えられています。
大手から百々橋口に至る南側の面では、現在復元作業が続けられていて、新しく虎ロが2か所発掘されました。今までの発掘に加えて、これらの成果をもとに、南側の防御面での考え方が再検討されています。
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安士城跡
織田信長が天下統一の拠点として築いた安土城。平成元年よりの発掘調査にもとづく整備作業が行われました。日本では最も古く、高く築かれた石垣や大きな礎石を使った天主跡、本丸御殿など、近世城郭の先駆けとなった遺構が現在在でも良好に残っていて、それを実感できます。
天主跡の石垣の上に立ち、信長公の「天下統一」の夢の跡を堪能して下さい。なお、国指定重要文化財、摠見寺三重塔、仁王門がある場所かち望む西の湖は絶景です。

セミナリヨ跡
信長公の許しを得て、イタリア人宣教師オルガンチノによって天正9年(1581)に創建されて日本最初のキリシタン神学校の跡です。この土地が大臼(だいうす→ゼウス)と呼ばれていること.から、この地にあったと比定されています。この近くに主之御座(しうのみざ)という地名があり、一説にはこの地にあったともいわれております。なお、宣教師オルガンチノはオルガンの語源であるともいわれ、信長公も時々訪れてオルガンや他の楽器の音色を楽しんだようです。

城下町・常楽寺港
中世から、湖東方面の荘園年貢を積み出した港として知られています。信長が城下町を建設した際も、港の機能を取り込むため、城下町に取り込まれました。東海道線が開通するまで使われていましたが、現在では常の浜水辺公園として整備されています。

梅の川・北川湧き水
信長の家臣武井夕庵がここの湧き水を使って茶をいれ、信長に献上したといわれています。
この辺りは、鈴鹿系に端を発する愛知川の伏流水が湧き出ると.ころで、常楽寺ではこの他に、北川、音堂(おとんど)の二箇所に湧水地があります。夏は冷たく、冬は暖かく、上流から、飲料、野菜洗い、洗濯など、生活用の貴重な水として使用されてきて、地区の人達が管理されてきました。現在では伏流水の水位が下がり、水量が少なくなって、地下水も多少汚染され、飲料水としては適しませんが、生活用水として使い続けられています。

下街道(朝鮮人街道)
安土城下町の中を通る街道です。当時の主要道であった東山道とどのように通じていたかはわかりませんが、信長公が安土・城下町建設にあたり、東山道から城下町へ人々を立ち寄らせるために整備した道です。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が京都に向かう時にこの道を通ったことで縁起の良い道であるともいわれていました。江戸時代には、朝鮮通信使がここを通って江戸に向かったことから朝鮮人街道とも呼ばれています。
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by azch | 2008-03-18 21:33 | ウォーク&ハイク

2008あづち信長春まつりその2 JRふれあいハイキング

恒例のJRふれあいハイキング
3月16日の早春の安土城「信長の夢をたずねて」からスタート


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主催:安土町観光ボランティアガイド協会
早春の安土城「信長の夢を訪ねて」
コース:城郭資料館、文芸の郷(信長の館、博物館)、安土城跡、セミナリヨ跡


今春は3月から6月までとっておきの春の安土6回開催

①3月16日(日)JRふれあいハイキング 早春の安土城「信長の夢をたずねて」
城郭資料館、文芸の郷(信長の館、博物館)、安土城跡、セミナリヨ跡

②4月5日(日)JRふれあいハイキング 安土城下と「沙沙貴まつり」を歩く
城郭資料館、浮厳院、沙沙貴神社、常楽寺(常楽寺港、湧水、会館前)

③4月20日(日)JRふれあいハイキング 摩崖仏「内野十三仏」千日会から中山道へ
老蘇(中山道経由)、内野「十三仏」参詣、元気園、奥石神社、石寺楽市

④5月18日(日)JRふれあいハイキング 沙沙貴神社「なんじゃもんじゃ」と安土城下を歩く
浄厳院、沙沙貴神社、文芸の郷(信長の館、博物館)、安土城大手、セミナリヨ跡

⑤5月25日(日)JRふれあいハイキング 中山道と隠れ里「教林坊」を訪ねて
中山道・老蘇、奥石神社、教林坊、石寺楽市、瓢箪山古墳

⑥6月15日(日)JRふれあいハイキング 観音正寺から繖山をめぐるハイキング
桑實寺、観音寺城、観音正寺、繖山三角点、地獄越え、朝鮮人街道、能登川駅
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by azch | 2008-03-06 21:11 | ウォーク&ハイク

史跡案内「安土城下町と西の湖の水郷をめぐる旅」

今春の城郭調査研究所のウォークは5月26日新たな企画にて実施されました。

安土城郭調査研究所HPより紹介します。

史跡案内「安土城下町と西の湖の水郷をめぐる旅」
史跡案内「安土城下町と西の湖の水郷をめぐる旅」を、5月26日(土)に開催しました。
事前に申込みいただいた方のうち先着52名(当日都合により3名の不参加がありましたので、49名)の参加者があり、皆さん、めったに見ることのできない、湖上からの眺めを堪能していかれました。どうもありがとうございました。

午前10時 JR安土駅前に集合した後、旧朝鮮人街道(下街道)を通って浄厳院に向かいます。
朝鮮人街道を浄厳院にむかって歩きます。
浄厳院の裏門に到着しました。これから本堂と境内を見学します。
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重要文化財浄厳院本堂の中です。
浄厳院は、織田信長が安土城下町に創建した浄土宗寺院です。金勝山(滋賀県栗東市)の高僧応誉明感に高徳に感じ入った信長が、安土城下に強制的に移転させました。本堂は、多賀(近江八幡市)の興隆寺弥勒堂を移築したものです。もとは天台宗系の本堂の様式を備えていましたが、移転に伴い、浄土宗の様式に変更されています。内陣と外陣を区切る格子戸が取り払われ、内陣横の余間が拡張されました。
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浄厳院は、天正7年(1579)に行われた安土宗論の舞台としても有名です。この宗論は法華宗と浄土宗の僧侶が論争したものですが、信長の裁定により浄土宗の勝利となりました。一説には当時京都で力を誇っていた法華宗の勢力を削ぐために、わざと仕組まれたものだともいわれています。
浄厳院本堂外観。大変立派な建物です。この他浄厳院の境内には重要文化財の楼門や安土町指定文化財の鐘楼・不動堂などがあります。

浄厳院を出た後は景清道を通って東へと向かいます。景清道は、中世の主要交通路であった東山道(江戸時代は中山道)から繖山の麓の石寺を通り、浄厳院の北側を通る脇道です。景清という名称は、源平時代の武者であった平景清が通った道だからとも、京都へいたる脇道という意味の「かげきょうみち」から変化したものともいわれています。

つづいて安土城下町の東南の端に位置する東南寺で、安土城下町の構造や特徴について説明を受けます。この場所から東は地形が一段下がっており、今でも田んぼが広がっています。したがって、城下町として人々が居住する範囲は、ここより西の高台の地に限られていました。
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この東南寺に伝わる古文書には、惣構どてを開いて寺地を開発したことが記されていました。また別の旧家に伝わった江戸時代の古絵図には、東南寺の西方に位置する安土町公民館付近に惣構どての痕跡が描かれています。これらのことから、少なくとも江戸時代には、信長時代の惣構と認識されるような土手があったことが確実です。
一方発掘調査では、公民館付近から南は城下町時代の遺構・遺物の検出例が少なくなり、この土手が城下町にとって、何らかの境界を意味するものであることがうかがえます。

安土城下町は近世城下町の出発点であるという評価が一般的ですが、こうした発掘調査や古文書調査によって従来の見方を再検討する必要性が唱え始められています。特に、江戸時代の古絵図や古文書から「惣構どて」に関する記述が発見されたことは、これまで惣構は無いと考えられていた安土城下町に、惣構があった可能性が出てきたことになり、安土城下町の構造が見直されています。ちなみに惣構とは、城や城下全体を囲う堀や土塁といった防御施設のことで、戦国時代の城下町には一般的に見られるものですが、近世に入ると消滅するといわれています。
惣構どての説明を聞く参加者。背景の建物が安土町公民館。どてはこの建物の南(画面右方向)にあったと考えられます。

惣構どて推定地の後は、城下町の名残がもっともよく残る常楽寺の集落内に入っていきます。ここは小さな路地が鍵の手状に折れ曲がり、見通しがききにくくなっています。また、水辺の集落であった常楽寺の名残をとどめる湧水地が今でも残されています。ここはそのうちの一つ北川湧水です。
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かつて港であった常浜公園。城下町以前から年貢の積み出し港として利用されていました。いまでは公園として整備されています。

常浜から伸びる山本川河口付近から乗船します。いよいよ西の湖横断に出発です。
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西の湖からみた安土山。西の湖は、安土町と近江八幡市にまたがる、現在残る琵琶湖の内湖のうちで最大のものです。大中の湖をはじめ、数多くあった琵琶湖のない湖の多くが干拓によって姿を消しました。そうした中で、今でも昔ながらの生活や景観・自然を残す貴重な文化遺産として、平成18年度に新設された文化財分野である重要文化的景観第1号の選定を受けています。

全部で5艘の船に分かれて西の湖を遊覧しました。手を振る参加者。
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正面に見える丸い山の麓が円山(まるやま 近江八幡市)、右手の低い丘の麓が白王(しらおう近江八幡市)の集落です。船はその間を流れる長命寺川に向かいます。

バス釣りを楽しむ人たち。この日は他にも大勢がバス釣りを楽しんでいました。

いよいよ長命寺川に入ります。ここはかつては幅の狭いクリークのような川でしたが、内湖の干拓にともなって整備されたようです。この川をまっすぐ進むと琵琶湖に出ることができます。しかし今日は琵琶湖には向かわず、途中で方向を変えて、円山の横を通り、水郷地帯に向かいます。
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いよいよ重要文化的景観近江八幡の水郷です。
両脇をヨシに囲まれた狭い水路を通っていきます。ときおりヨシキリの鳴き声が聞こえます。
このような自然がこんな身近に残っていたとは・・・
手こぎ和船とすれ違います。あちらは八幡から来られた水郷めぐりの和船です。
この橋をくぐるといよいよ船着き場、西の湖園地です。
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園地に到着しました。この日は快晴でしたが、ものすごい強風で、船をあやつるのが大変そうでした。船頭のみなさん、どうもありがとうございました。

ここからはふたたび歩きです。
近江八幡の市街を目指し、長命寺街道に向かいます。

長命寺街道は八幡町から陸路長命寺に向かう道で、北之庄の集落の中を通っています。我々は長命寺方面から八幡へと向かいます。途中、ヴォーリズ記念病院を通過しましたが、そこにこのような建物がありました。これはツッカーハウスといいます。ヴォーリズ記念病院の前身である近江療養院(近江サナトリウム)の本館で、大正7年にアメリカの支援者であったメアリー・R・ツッカーらより寄付を得て建てられたものです。残念ながら老朽化が進み、現在では使用禁止になっています。

長命寺街道、多賀の交差点に立つ道標。「長命寺」「京みち」と刻まれています。
多賀の興隆寺。浄厳院本堂が元あった寺院です。
最終ゴール。かわらミュージアム横の駐車場です。後ろは八幡堀です。

今回は、山登りもなく、途中船にも乗ったため、例年に比べると楽なコースだったかもしれませんが、それでも延べ約3時間にわたるウォークはハードだったようです。ご参加くださったみなさん。どうもお疲れまでした。
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by azch | 2007-08-18 22:43 | ウォーク&ハイク
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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