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安土城跡発掘調査・百々橋-大手間の南山裾郭の環境整備工事

百々橋-大手間の南山裾郭の環境整備工事
20年間の安土城跡調査整備計画の最終年度に入り、百々橋から大手間の石積み工事がはじまりました。

最終年度に入り、南山裾帯郭群から新たな虎口が2個所見つかり、「西虎口」「東虎口」と仮に名づけられ、整備が進んでいます。

県城郭調査研究所の見解
大手口の西枡形虎口から百々橋口までの南山裾には、東西方向に狭く長い郭が続いています。郭の南面石垣に沿って側溝があり、百々橋から大手まで内堀との間は通路となっていることが、平成13年度の発掘調査で明らかになっています。
平成19年度は百々橋-大手間の南山裾郭の環境整備工事を行っていますが、この工事に先立って発掘調査を行ったところ通路に面して新たに虎口が造られていることが分かり、さらに石垣復元工事で築城時の築石まで掘り下げている最中にもう1箇所虎口が見つかりました。2つの虎口は、百々橋-大手間のほぼ中間にあって、上下2段に分かれる郭の通路に面する下段郭のそれぞれ西端百々橋側と東端大手側に位置し、両者は約23.5m離れています。今回は、西端で見つかった虎口を「西虎口」、東端で見つかった虎口を「東虎口」と仮の名前をつけました。
西虎口の幅は約4.5mで、入り口に石段が1段設けられ、石段の内側は堅く踏みしめられたゆるい上り勾配の通路状です。その奥は西の上段郭に取り付く石段の踊り場となっています。虎口西端の石垣沿いには、側溝の縁石を兼ねた土壁の土台となる地覆石(狭間石)の石列と柱と柱の間の距離(柱間寸法)約1.8m(6尺)を測る礎石2基、礎石抜き跡1基が残っていました。また、礎石が小さく土壁が付くことからこの建物は薬医門や棟門のような重厚な門ではなく、東西方向に棟を持つ梁行き2間、桁行き2間以上の建物で、その西側2間分が出入り口となっていたと考えられ、この虎口の東側は通路に面して土塀があったとみられます。
虎口内の1段上がった踊り場からは、西向きに上段郭へ上がる石段が設けられていました。石段は、幅1.7m、奥行き2.7mで、最下段と南辺に側溝が付き、南東隅で虎口西端の側溝と繋がっています。この石段の北側には用途・目的等が分からない石段と同じ勾配を持つ幅1.2mのスロープが付いています。石段を上がった所からは百々橋方面と大手口方面の両方が見渡せます。柱を受ける礎石は残っていませんが虎口との位置関係などから、物見櫓のような建物があったと想像しています。
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中日新聞記事(2月9日)
安土城 石垣沿い通路は城内だった 2ヶ所目の虎口発掘
県安土城郭調査研究所 防御性低い構造

織田信長が築いた安土城(安土町、東近江市)の城跡南側の石垣から、城郭の出入り口「虎口」の遺構が新たに確認され、県安土城郭調査研究所が八日、発表した。近くで昨秋見つかった虎口と同様、防御性は低く、研究所は「石垣に沿った通路は、家臣らが使った城内路であったことを裏付ける発見」としている。

研究所によると、虎口の遺構は幅約4.5メートル、奥行きは約4メートル。幅約90センチの石段が三段あり、大手門と西側の百々橋口のほぼ中間に位遺している。東側こ幅約30センチの石組み側溝があり、南側通路の側溝こつながっていたとみられる。
虎口は廃城後、畑になっていた場所の土留め石を取り除き、築城時の石で積みを再現する工事の過程で出土した。昨秋、約23.5メートル西で見つかった虎口とほぼ同規模だった。
これら二つの虎口が確認されるまでは、石垣が城域の南端で、石垣沿い通路(長さ約400メートル、幅約6メートル)は商人や庶民らが通行した城外路だったとみられていた。
ところが、これらの虎口は礎石の規模などから敵の侵入を防ぐ「枡(ます)形虎口」ような重厚な造りではないことが判明した。
研究所は「通路は武士や家臣らが使った城内路だった」と結論付けた上で、近世城郭と同様、内堀が外郭であったとみている。


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滋賀報知新聞
新たに立派な虎口が出現 「外郭は内堀」が濃厚に
=安土城跡整備の発掘調査=

特別史跡安土城跡の調査および整備事業を行っている安土城郭調査研究所はこのほど、今年度実施している南面山裾部での発掘調査で通路に面して新たに二つめの虎口(出入り口)を検出したと発表した。これにより、これまで一般の人も通行できる城外路と考えられて来た百々橋から大手口の前に通じる通路が、実際には城内路であり、安土城の南の外郭はさらに南側の内堀になることが確実になった。
発見されたのは、昨年秋に発表された虎口(西虎口)から約二十三・五メートル東(大手側)の「東虎口」。虎口の幅は約四・五メートルで、入り口に石段が三段分残っている。踏み石は六十センチから一メートルの大石が使われ、踏み代幅も九十センチある。

虎口東側の幅約三十センチの石組み側溝は南側の通路側溝につながっていたと思われる。側溝奥に六十センチ大の礎石とみられる石が検出されたが、対になるものが見つからず、門の礎石かどうか不明。
また、この礎石らしき石の上面と西虎口奥にある踊り場の面の高さがほぼ一致することから、この間の当初の遺構面はほぼ残されていることがわかった。東西両虎口の間口は同じだが、踏石や虎口内の構造の違いから、用途が異なるかもしれない。

西虎口が防御性の弱い平屋の建物らしく、それより立派な東虎口が今回見つかったことから、通路は城内路であることが確実となり、西の百々橋口と、東の下街道に面した江藤の丘あたりで一般人の通行を禁止するなんらかの閉鎖施設の存在が浮かび上がり、安土城の南の外郭が内堀になることを示すものとなった。

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by azch | 2008-02-09 21:24 | 観光ネットワーク
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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