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浄厳院 かちどき念仏 法要

かねや太鼓打ち鳴らし 安土浄厳院 「かちどき念仏」奉納
10月8日秋恒例の浄厳院法要開催
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京都新聞
かねなどが鳴らされ、念仏を唱える僧侶ら(安土町・浄厳院)
法華宗との宗論で勝ったことを祝って始めたとされ、かねや太鼓を打ち鳴らして念仏を唱える「かちどき念仏」の奉納が8日、滋賀県安土町慈恩寺の浄厳院で行われた。
宗論は、天正7(1579)年に織田信長の命令により浄厳院で法華宗と浄土宗との間で行われた「安土宗論」。信長の裁定で勝者とされた浄土宗の信者が、勝利を祝って始めたのが「かちどき念仏」だという。
この日は、信者らが本殿西側でかねや太鼓を打ち鳴らすと、内陣に座った僧侶らが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と独特のリズムに合わせて念仏を唱えた。
堂内に集まった約200人の参拝客らは、大きく打ち鳴らされるかねなどの音を聞きながら静かに手を合わせていた。


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「安土宗論」とは
「安土宗論」で具体的にどういうやり取りがあったのですか???
YAHOO 知恵袋 HPより引用
回答:信長公記巻十二より  安土宗論 法花・浄土宗論の事

5月中旬のことであった。浄土宗の霊誉という長老が関東より上国し、安土の町で法談を行っていたところ、法華宗の建部紹智と大脇伝介の両名が乗り込んで問答をしかけてきた。

これに対し、霊誉長老は「若輩の方々に答えたとて、仏法の理が耳に入るはずもない。御両人の崇める法華坊主を出されるならば返答いたそう」と返した。そして七日間の法談の予定を十一日まで延ばし、その間に法華方へ使者を立てたのだった。

使者を受けた法華宗では、浄土宗と宗論を戦わせることを決した。そして京都から長命寺の日叙吹E常光院・九音院・妙顕寺の大蔵坊、堺の油屋常由の弟僧妙国寺、普伝といった歴々の僧衆が安土へ下り、また巷にあふれる法華の僧俗たちもこぞって安土に参集してきた。

この騒ぎは信長公の耳にも届くところとなった。この当時、信長公の御前に伺候する者の中にも法華宗徒は多数おり、このため信長公は命を下して両者を調停し、事態を穏便のうちに収めようとした。かくして菅屋長頼・矢部家定・堀秀政・長谷川秀一らが使者となり、両者の間に立って調停の意向を伝えることとなった。
 調停のすすめに対し、浄土宗側はいかようにも上意に従う旨を返答してきた。しかし法華宗側は強気の姿勢をとって従わず、調停は不調に終わった。

もはや宗論は避けられない様相となった。すると信長公は「それならば当方から判者をつけるゆえ、勝敗は書付をもって当方の目に入れよ」と指示し、五山の内でも識見を知られる日野の景秀鉄叟長老を判定人に招き、また折から安土に来ていた因果居士も判定人に加えた。

かくして安土の町外れにある浄土宗浄厳院の仏殿で宗論が行われることとなり、織田信澄・菅屋長頼・矢部家定・堀秀政・長谷川秀一の五名が寺中の警固を命じられた。当事者のうち、法華宗からは長命寺の日叙吹E常光院・九音院・油屋常由の弟妙国寺・普伝がおごそかなる法衣で身を包んで席に居並び、妙顕寺の大蔵坊が記録者として妙法蓮華経八巻と硯・料紙を携えていた。一方浄土宗からは関東の霊誉長老・安土田中の貞安長老がこれも硯・料紙を携え、いとも質素な墨衣姿で席に臨んでいた。

そして、宗論が始まった。霊誉長老は「このような事態となったのはわが所為であるゆえ」として自分が論の口火を切ろうとしたが、そこを貞安長老が早口で遮り、みずから初問を立てた。双方の問答書もそれに合わせて筆記が開始された。

問答は以下のごとくに進んだ。

貞安問う 法華八軸の内に念仏はありや。
法華答う 念仏あり。
貞安曰く 念仏の義あらば、何ゆえ法華は念仏無間地獄に落ちると説くや。
法華曰く 法華の弥陀と浄土の弥陀とは一体や、別体や。
貞安曰く 弥陀は何処にあろうと、弥陀一体なり。
法華曰く 左様ならば、何ゆえ浄土門は法華の弥陀を「捨閉閣抛」として捨てるや。
貞安曰く それは念仏を捨てよというにあらず。念仏をする前に念仏の外の雑行を捨てよとの意なり。
法華曰く 念仏をする前に法華を捨てよと言う経文はありや。
貞安曰く 法華を捨つるとの経文あり。浄土経には善立方便顕示三乗とあり。また一向専念無量寿仏ともあり。
-法華の無量義経には、以方便力、四十余年未顕真実とあり。
貞安曰く 釈尊が四十余年の修行をもって以前の経を捨つるなら、汝は方座第四の「妙」の一字を捨てるか、捨てざるか。
法華曰く 今言うは、四十余年の四妙中のいずれや。
貞安曰く 法華の妙よ。汝知らざるか。
-法華返答なし。閉口す。
貞安重ねて曰く 捨てるか、捨てざるか。
-重ねて問いしところ、無言。其の時、判者を始め満座一同どうと笑い、法華の袈裟を剥ぎ取る。
天正七年己卯年五月二十七日辰刻。

宗論は終わり、関東の霊誉長老は扇を開いて立って一舞を舞った。一方「妙」の一字の返答に窮した長命寺日叙垂ヘ散々に打擲され、妙法蓮華経八巻も見物の群衆によって粉々に破り捨てられてしまった。集まっていた法華衆徒も四方へ逃げ散ったが、諸口・諸渡しに追手がかけられ、捕らえおかれる者も出る事態となった。

宗論の顛末は、事前の指示通り書付をもって信長公に提出された。すると信長公は時を移さず、当日午刻に城を下りて浄厳院に座を移した。
 寺内に入った信長公は法華方と浄土宗の双方を召し寄せ、まず関東の霊誉長老へ扇を与え、次いで田中の貞安長老にも団扇を下されて宗論の勝利を称えた。また判者をつとめた景秀長老には、先年堺より献上された東坡の名杖が贈られた。

そのあとで、信長公は大脇伝介を召し出した。
「本来一国一郡の身であってもはばかりあるものを、おのれは卑俗なる塩売りの町人の分際でこのたび霊誉長老の宿泊先をつとめた。でありながら長老とねんごろにしようともせず、あまつさえ人にそそのかされて問答さえ仕掛け、巷を大いに騒がせた。このこと不届き極まる次第である」
伝介を斬罪に処した。

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by azch | 2007-10-09 19:37 | 安土観光拠点
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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