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安土浄厳院まいり

浄厳院まいりの復活を目指して
10月8日から11日まで 秋季法要

特に今年は、9日(祝日)に昔の浄厳院まいりを復元すべく大イベントを開催

各地区詠唱講による詠讃歌奉納
安土問答ゆかりの太鼓念仏(かちどき念仏)奉納
浄厳院所蔵重要文化財パネル公開
境内にて安土楽市浄厳院版設営
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近畿各所から300名に近い詠唱講の皆さんが来院、詠讃歌の大奉納、午後10時から午後3時すぎまで本堂は座る場所もないほど盛況でした。
浄厳院名物「安土宗論」の縁起を担ぐ「太鼓(かちどき)念仏」も奉納されました。
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浄厳院
信長が安土城の築城とともに、伊賀と近江の浄土宗総本山として再興した寺。
本堂をはじめ、五つの国指定重要文化財を所有。天正7年に浄土宗と日蓮宗との問で安土宗論(安土問答)が
おこなわれたことで有名。宗論に勝った浄土宗が唱えた「かちどき念仏」は今も伝えられている。
この「かちどき念仏」は浄土宗側の勝利を喜んだ信者達がその喜びを鉦と太鼓で威勢よく唱えたことに由来しており、浄厳院独特のものとされている

年一度の安土問答ゆらいの珍しい「かちどき念仏」も奉納され、昔の近隣では有名な「浄厳院まいり」の賑わいを、一時でも復活できました。
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浄厳院紹介(現地案内板、教育委員会、その他紹介文より抜粋)

◆天正6年(1578)織田信長によって建てられた浄土宗の寺である。
この地には、もと佐々木六角氏頼が建てた慈恩寺(天台宗)の跡地であり現在も大字慈恩寺として地名に残っているが、近江八幡市多賀町にあった興隆寺のお堂(本堂重要文化財)を移し、栗田郡(現在の栗東市)の金勝寺より明感という僧侶を招いて金勝山浄厳院とした。
また、本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)は愛知郡二階堂にあった古寺より譲り受けたもので平安時代の作である。
ここはまた「信長公記」(太田和泉守牛一著)に見られる、法華宗と浄土宗との間で争われた「安土問答」の場としても有名である。 現地案内板より

本堂は昭和38年(1963)に修理され、朱塗りの楼門は、平成5年(1993)に解体修理され見事に復原されている。
浄厳院の広い墓地には旧慈恩寺時代からの一画があり、佐々木一族の墓が立ち並ぶ。いずれも風化が激しく彫られている文字は判読できないが、この墓塔は慈恩寺を建立した佐々木氏頼(佐々木家第6代当主)のものであると云われている。この他に、六角満綱,持綱,時綱の墓と伝えられる五輪塔もあると云われている。

安土問答
信長はかねてより、日蓮宗に対してこころよく思っていなかった。
何か機械があればとねらっていたところ、ふとしたことから安土に浄厳院で浄土宗と日蓮宗とが宗論を行うことになった。この宗論は浄土宗が有利になるように仕組まれていたから、当然浄土宗の勝利となった。
このことがあってから現在でも11月2日からの浄厳院の法要には必ず「かちどき念仏」なるものが唱えられている。
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by azch | 2006-10-27 20:12 | 安土観光拠点
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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