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幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクト

安土城の本当の姿を求めて
安土町幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクトを、観光ネットワーク団体も大きな期待を持って応援していきます。
安土町HP内の調査担当のブログから一部を紹介します。
詳しくはビョウブログを見てください・・・
幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクト_e0093407_2122952.jpg

上記屏風絵は大野俊明氏によるもの(05年)。本物の屏風はまだ見つかっていない。

2005年屏風絵探索プロジェクトの概要
プロジェクトの目的
現地調査により、行方不明となった屏風絵の手がかりを探る。
屏風絵発見に向けて、関係者に調査協力を依頼する。
調査の方法
現地の研究者等へ「屏風絵」に関するヒアリングを行う。
「天正遣欧使節」に関する記録などから屏風絵の行方を探る
当時の文献(イエズス会資料)などから、屏風絵の行方を探る。
調査・協力依頼の対象
・バチカン関係機関<博物館(美術館)、伝道民族学博物館>
・グレゴリオ13世末裔宅
・イエズス会関係
・学術研究機関<ベネチア大学>
・天正遣欧使節に関する施設
・大使館等
幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクト_e0093407_2131291.jpg
過去の探索経過1970~80年代
歴史・建築研究者の中で、「安土城の本当の姿」について議論が巻き起こる。
幻の屏風絵「安土城之図」が注目される。

1984年
滋賀県が中心となって、バチカンを現地調査。屏風絵の所在は突き止められず。
1992年
スペイン・セビリア万博にて、安土城天主が復元・展示される。
1994年
安土町文芸の郷に、安土城天主「信長の館」オープン。
2004年
安土町、20年ぶりに屏風絵に関する調査をスタート。
2005年
現地調査(2005年屏風絵探索プロジェクト)を行う。
幻の屏風絵「安土城之図」探索プロジェクト_e0093407_2134526.jpg
今も残る安土城の謎
安土城は、1582年に完成からわずか3年で焼失。
その全容を知る資料は未だ見つかっていない。
なぜ「屏風絵」が重要なのか
屏風絵には安土城とその城下町が描かれている。
信長は、絵が実際と少しでも異なっていた場合、そのつど何度も作者に書き直させた。
つまり、屏風絵を見ることで、当時の安土城の姿をかなり正確に知ることができる!
バチカンに渡った屏風絵
作者は当時ナンバーワンの画家(狩野永徳?)
サイズはおよそ、縦2m、横7.2m?(折り畳まれて、横1.2mの箱に入っていた)
信長は、この屏風をたいへん気に入り、ごく限られた人にしか見せなかった。

屏風絵と天正遣欧使節
信長は、1581年に安土を訪れたイエズス会巡察師のヴァリニャーノにこの屏風絵をプレゼント。
安土や京都で展示された後、ヴァリニャーノと4人の日本人少年たち(天正遣欧使節)と共に長崎を出航。
ヨーロッパ各地を巡り、およそ3年半の旅を経て、屏風絵と天正遣欧使節はローマ・バチカンに辿り着いた。

行方不明になった屏風絵
地球の裏側からやってきた4人の日本人をヨーロッパの人々は大歓迎。
天正遣欧使節は、当時のローマ法王・グレゴリオ13世に謁見。屏風絵を献上。
法王は感激し、法王の住居と執務室を結ぶ廊下(地図の回廊)に屏風絵を飾った。
しかし、その直後、グレゴリオ13世が急死。
屏風絵の行方は分からなくなってしまう…

今後の調査の進め方
イタリア・バチカン
下記の3ヵ所を中心に、現地調査(委託)を行う。
1.イエズス会関係
2.バチカン博物館(秘密の倉庫)
3.グレゴリオ13世末裔関係
必要に応じ、調査団を現地へ派遣する。

日本国内
有識者による探索プロジェクト・ネットワークの構築を目指す

by azch | 2006-02-11 21:28 | 観光ネットワーク
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信長の安土城跡を始め貴重で豊富な歴史文化・自然環境を活かした「安土まちづくり」情報を発信


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