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県埋蔵文化財センター研究会

信長・秀吉の城跡など今年度の発掘成果を紹介

滋賀報知新聞


=3月7日 コラボしが21=
佐和山城を攻めた信長が構築した包囲網跡である堀切(県教育委員会提供)
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 県埋蔵文化財センター研究会「土の中から歴史が見える14」が三月七日、コラボしが21(大津市)で開かれる。県教育委員会と県埋蔵文化財センターの主催。県内における平成二十六年度の発掘された成果を、調査担当者が写真を交えて分かりやすく説明する。
 内容は、▽「水口岡山城跡の発掘調査―推定天守台の調査―」(甲賀市)▽「弥生時代の竪穴建物や飛鳥時代の井戸を調査―下鈎東遺跡の発掘調査―」(栗東市)▽「渡来人の集落か―南滋賀遺跡の発掘調査」「渡来人の墓―穴太遺跡の発掘調査」(大津市)▽「名勝玄宮楽々園保存整備事業に伴う発掘調査」(彦根市)▽「神照寺坊遺跡」(長浜市)▽「金剛寺城遺跡」「八反田遺跡」(近江八幡市)▽戦国時代の城館を発見!!―貴生川遺跡の発掘調査―」(甲賀市)▽「彦根市松原内湖遺跡で見つかった堀切・竪堀と巻数板について」(彦根市)となっている。
 この中で、豊臣秀吉が東国制覇の拠点として現在の甲賀市水口町に築いた水口岡山城の城郭調査では、本丸部分の東西で、天守クラスの石垣などが見つかり、本丸の両端に天守級の建物があった可能性が高くなった。
 また、貴生川遺跡の発掘調査では、十六世紀後半の戦国時代の甲賀武士の城館跡が、堀と土塁跡がまとまって見つかった。当時は織田信長の甲賀侵攻の時期に当たり、甲賀武士団の動向を考える上で貴重な発見とされる。
 城館跡は、一辺五十メートルのほぼ正方形で、周囲に巡らせた土塁跡(幅六・六~八メートル)、その外側の堀(最大幅八メートル、最深二・八メートル)が確認された。
 彦根市の松原内湖遺跡の発掘では、織田信長が一五七〇年、佐和山城攻めの際、敵の逃走や侵入を防ぐため尾根を削った「堀切」「竪堀(たてぼり)」などの城郭遺構が見つかった。
 これは、浅井長政の猛将、磯野員昌(かずまさ)の籠る佐和山城を包囲するため構築したもの。尾根を分断する堀切跡は、佐和山城跡から北北西約一・六キロの尾根に築かれ、東西十三・五メートル、南北の七~九メートル、最深三メートルだった。また、斜面に沿って縦方向に掘削した竪堀は、幅七・五メートル、深さ三メートル、長さ十四メートルを確認した。
 発掘に当たった県文化財保護協会は、攻め手の被害が大きいとされる城攻めにおいて、土塁による頑強な包囲網を築造し、味方の消耗を防いだ戦い方をしたとみている。
 無料。申し込み不要。問い合わせは県埋蔵文化財センター(TEL077―548―9681)へ。
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by azch | 2015-02-28 22:48 | 安土観光拠点
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