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観音寺城跡の調査 22年から24年

石垣から構造が見えた 観音寺城跡の調査 報告と考察

平成24年5月12日

=7メートル級の高石垣など まるでマチュピチュのよう=

県教委文化財保護課はこのほど大津市瀬田南大萱町の県立図書館で開いた講座「観音寺城の石垣を探る 史跡観音寺城跡石垣基礎調査の成果」で、平成二十年度から二十三年度まで四年間の石垣基礎調査の成果と、それを元にした観音寺城の構造についての新しい見方を報告した。

上垣幸徳副主幹は「観音寺城の石垣――史跡観音寺城石垣調査の成果――」で、観音寺城の大きな特徴の一つである石垣の場所・形態・数量などの調査結果を報告した。
 調査は、今後の研究のベースとなる基礎データづくりのためのもので、観音寺城跡約二百五十九万平方メートルで踏査と発掘調査を行った。
観音寺城跡のある繖(きぬがさ)山全山で九百四十八か所の石垣を確認。山塊中央部分に約五十五%(五百二十二か所)が集中し、桑実寺・宮津口付近に約二十九%(二百七十六か所)、意外だったのが繖山南側の鳥打山西側斜面の約十六%(百五十か所)。石寺地区は史跡指定外で今回の調査では対象から外れた。
鳥打山西斜面には一段高い道「すばせ」の両側に石垣をもつ造成地を確認することができた。ここは桑実寺から遠く、観音寺城からからの延長とも考えにくい。「信長公記」に鳥打山に屋敷地造成の記述があり、安土城の時代のものと評価できなくもないが、石垣の状態から安土城のものよりは古いので、観音寺城の出城ではないかと推考した。

発掘調査は二十―二十二年度に埋没した石垣の掘り起こしを行った。本丸付近で平坦地や通路の石垣、観音正寺から本丸への通路の石垣などを確認することができた。
 今回の調査では、対象外となった石寺地区や繖山南側斜面の石垣の把握や、新しい石垣の中に古い石垣など今まで想定していなかった部分に石垣が出てくる可能性など、今後の課題も見えてきた。
 踏査・発掘調査の成果を今後どのように 観音寺城跡を保存して、管理して、活用していくかを考える上での第一歩にしたいと締めくくった。

仲川靖主幹は「観音寺城の構造――主として石垣よりみて――」で、今回の調査成果から、繖山にそびえ建つ観音寺城の姿を浮かび上がらせた。
これまで観音寺城は「攻めやすい城」「城らしくない城」などと評価を受けていたが、その築城課程を眺めるとそうではなく、城郭のセオリーを守って防御に徹している城であることがわかった。
観音寺城の石垣の特徴は、同じ大きさの石を縦に重ねる「重ね積み(重箱積み)」、城や郭の防御機能をもつ入り口となる「虎口」外側隅角に大石を使う、三メートルを超える高石垣の分布(最大七メートル)などにあり、縄張りの外郭ラインを東山道から見ると石垣がそびえ建つ「ペルーの世界遺産マチュピチュ」のように見えたのではないかと、視覚的にとらえた。
虎口・石垣・尾根筋の郭をつなぐとその構造は、三国丸を中心(ピーク)とする馬蹄形で、従来の城の形に合致することを強調した。

また、各郭に虎口があって、それぞれが独立していることから一見「梯郭(ていかく)式」(本丸を城郭の片隅に配置し、周囲の二方向、三方向を他の郭で囲む縄張)に見えるが、「六角氏式目」を踏襲した独立した配置になっているとした。
東端には布施淡路丸を中心とする出丸郭群があり、南側に続く造成団地のような一番おかしな構造体部分は、ある時期に後藤・進藤邸などが順次追加され、信長の時代にこのような形になったと考える。
天下の名城とうたわれる安土城の築かれた安土山を見下ろす繖山に、安土城より先に石垣をもって築かれた観音寺城。そのスケールと歴史は安土城の比ではない。中世五大山城に数えられるだけに、その調査研究が日本城郭史研究にもたらす影響は大きい。
講座参加者は今回の報告が、今後の調査・研究へのひとすじの光明となることを確信した。



講座「史跡観音寺城跡」石垣基礎調査の成果

平成24年4月11日
=21日に県立図書館で=
県教委は、講座「観音寺城の石垣を探る 史跡観音寺城跡石垣基礎調査の成果」を二十一日午後一時半から大津市瀬田南大萱町の県立図書館大会議室で開催する。
 近江守護六角氏の居城である観音寺城は、標高四百三十二メートルの繖(きぬがさ)山の山頂から南山麓にかけての斜面に広く築かれ、中世五大山城の一つに数えられる近江を代表する巨大山城。
 県は、安土城以前に築かれた城郭としては例外的に石垣が多用された観音寺城の保存と整備のための基礎資料とするため、平成二十年度から四年計画で石垣基礎調査を行った。
 講座では、調査によって明らかになった観音寺城の石垣の特徴と、そこから推測される観音寺城の構造についての試論を提起する。
 県教委文化財保護課の上垣幸徳副主幹による講座「観音寺城の石垣~史跡観音寺城跡石垣基礎調査の成果」、仲川靖同主幹による講座「観音寺城の構造~主として石垣よりみて」のあと、両人に松下浩同副主幹が加わっての鼎談で、観音寺城の姿に迫る。
 参加希望者は、住所・氏名・連絡先をメール(ma16@pref.shiga.lg.jp)・電話(0748―46―6144)・ファックス(0748―46―6145)のいずれかで、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課城郭調査事務所へ。二十日午後五時必着。ただし、先着百人まで。参加者には埋蔵文化財活用ブックレット「観音寺城」がプレゼントされる。



史跡観音寺城跡発掘調査
平成23年4月17日
=23日にスライド発表会=

県教委文化財保護課(城郭調査事務所)と県立安土城考古博物館は、平成二十年度から四年計画で実施している「史跡観音寺城跡の石垣基礎調査と発掘調査」の二十二年度の調査結果について、一般向けスライド発表会を二十三日午後一時半から近江八幡市安土町下豊浦の県立安土城考古博物館で開催する。定員は当日先着百四十人。
 二十二年度は、石垣基礎調査を桑実寺地区宮津口道山麓部の約二十九万平方メートルで、発掘調査を伝本丸大石段下部の約三千平方メートルで、昨年十月から今年三月まで行った。
 発掘調査の対象となった伝本丸跡に接続する石段通路の下部、二本の谷状地形をはさんで土塁状の郭が突出しているとされる部分では、伝本丸跡に接続する通路の延長部分がある可能性が指摘されていることから、伝本丸跡から下方へ延びる石段通路の上り口の下、地形が谷状になっている部分を中心に伐採・清掃を行い、三か所、計約三十四平方メートルを石段通路の延長部分ではないかと想定して、掘削した結果、断片的ながらも石垣・通路と考えられる遺構を検出することができた。
 掘削範囲が限られるため、この付近に残る遺構全体の形状など詳細は不明だが、遺構の配置状況、特にある地点で谷状地形に直交する石垣が存在することから、この谷状地形が伝本丸跡からの石段通路の延長部分ではなく、伝本丸跡と伝お花井戸郭は直接つながらないことが確認された。
 また、これまでに公表された城跡の平面図には記載されていない郭・石垣が存在していることも確認できた。
 石垣調査は観音寺城跡最大の特徴である安土城以前の石垣の現状を把握するため、四年かけて調査を行っている。
 今回は、調査対象地への立ち入りが困難で危険なことから、現地説明会は実施しない。
 問い合わせは、城郭調査事務所TEL0748―46―6144へ。



伝本丸の東虎口は?史跡観音寺城跡

平成22年1月29日(金) 
=2年目の発掘と石垣調査 31日に現地説明会=

史跡観音寺城跡の調査状況についての説明会が、三十一日に現地で行われる。午後一時に安土町石寺の「石寺楽市」に集合。
平成二十年度から県教委が四年計画で石垣基礎調査と発掘調査を続けている。

今年度は、本谷から伝本丸に通じる西側ルートで想定されていた枡形虎口がなかったことが明らかになった昨年度調査に続いて、昨年十一月から東側ルートの虎口があったとされる伝本丸東虎口(防御機能をもつ入り口)〇・三ヘクタールで発掘調査を行っている。
東側ルートは、江戸時代以降に桑実寺から観音正寺への巡礼道で、伝本丸北東隅の開口部につながり、観音寺城時代にも道として利用されていたと考えられている。伝本丸の手前で巨大な削り出し土塁が張り出して、道が狭くなっているが、防御のための構築物などは発見できていない。
石垣調査は、観音寺城跡最大の特徴である安土城以前の石垣の現状を把握するため、四年かけて伝布施淡路丸周辺と南山裾部二十四ヘクタールを調査している。
現地説明会は、伝本丸東虎口周辺の発掘調査現場と、伝後藤丸と伝進藤丸付近の石垣調査現場で行う。
問い合わせは、県文化財保護課城郭調査担当(TEL0748―46―6144)まで。



歴史物語る石垣や土塁 観音寺城跡整備事業
平成22年5月9日
=雑木林を伐採し、見学道整備 15日に現地で説明会開催=

 山を覆っていた雑木林や竹林を伐採してみると、地元で語り継がれて来た巨大岩石や城の郭を形成した石垣、土塁が姿を現した。中世の近江を支配した佐々木六角氏。その居城「観音寺城」(近江八幡市安土町)で県教委による整備事業が進められており、本格的な石垣での建造が始まったとされる安土城より以前に、堅固な石垣を特徴とする観音寺城の存在を目の当たりにできる。新たな見学ルートも整備し、十五日には現地見学会も開く。


 平成二十一年度の整備作業は、観音正寺の西側の本丸から伝平井丸、伝池田丸の南側斜面の「女郎岩」周辺四ヘクタールと、東側の林道駐車場近くの伝目賀田丸周辺約六ヘクタールで、石垣の崩壊防止と石垣を常時監視できるようにするための森林・竹林整備事業を行った。
 「女郎岩」は新幹線が開通したころには車窓から見ることができたと言われて来たが、最近では近寄ることさえできない状況だった。巨岩の下には、高く、長く続く石垣も現れた。また、その先の伝木村丸の石垣には、アーチ状に加工した石を乗せた「埋み門(うずみもん)」も見ることができる。


アーチ形の「埋み門」 伝目賀田丸では高さ三―四メートルの土塁が残り、眼下には国道8号・新幹線が、向側には箕作山城跡(織田信長が攻め落とし、六角義賢は観音寺城を捨てて逃亡した)が見える。
 全国五大山城の一つに数えられる観音寺城。形態的には古い土塁と当時としては先進的な石垣をもち、それぞれどのような機能をもっていたのか、現地に立つとロマンが広がる。
 現地見学会は、近江八幡市安土町桑実寺の文芸の郷にある安土城天主信長の館前広場に集合し、午後一時に出発する。参加費三百円(桑実寺入山料)。事前の申し込みはいらない。山歩きに適した服装・装備で。問い合わせは、県教委文化財保護課城郭調査事務所(TEL0748―46―6144)まで。
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by azch | 2012-05-13 23:12 | 観光ネットワーク
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